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怨嗟と冷笑-永井荷風『狐』Ⅱ [本の事、批評など 雑文]

 首尾よく正義を完遂した一同は大酒盛りを催すこととなり、父親はその饗応のために狐の忍び入った鶏小屋の鶏を二羽潰すのでありました。鶏を殺した狐を殺し、それが祝いに更にまた二羽の鶏を殺したのであります。荷風少年には鶏を肴として酒を飲む人たちの赤ら顔が絵草紙の鬼のように見えるのでありました。荷風は「世に裁判といい懲罰というものの意味を疑うようになったのも、あるいは遠い昔の狐退治。それらの記憶が知らず知らずその原因になったのかも知れない」とこの作品を結ぶのであります。
 岩波文庫版の竹盛天雄氏の解説にあるように、この作品は佐伯彰一氏の指摘する「二つの世界」を対置する構造をもっていると云えるのであります。父親と田崎に連なる世界としての「強者」「創る者」「君臨する者」「男性的な規範」「実用」等と、それと対側にある「弱者」「毀される者」「統べられる者」「女性的な価値観」「迷信」等と云う世界であります。後者に属するものは古井戸、樹木の生い茂る庭、闇、狐等であり、狐を殺すのは不吉であると説く迷信家の御飯焚のお悦、このお悦と共に狐つきや狐の祟り、沢蔵稲荷の霊験等を荷風に話し聞かせる乳母等の住む世界もそうでありましょう。
 磯田光一氏の『永井荷風』(講談社刊)ではこの対置の構造の上で「もし[父-田崎]という系の力が、単純に狐を殺したのであったら、おそらく短篇『狐』は成立出来なかったにちがいない。というのは、古井戸や老樹の世界の延長上に、しかも[父-田崎]という系とは異なる地点に成立しているのが、作品のもう一つの軸、つまり“江戸”の影を背負って現存する人間の世界だからである」と述べておられます。これは磯田光一氏の見事な指摘であると拙生は思わず感嘆したのでありました。
 作品の中で出入りの者の話しとしてさり気なく挿入された、年の暮が近づいて首を括った「崖下の貧民屈で提灯の骨けずりをしていた御維新前の御駕籠同心」や身代限りをした「水戸様時分に繁盛した富坂上の辰巳屋という料理屋」の話がありますが、これは仲働のお玉と云う女性と出入りの八百屋の御用聞春公との駆け落ち事件で、それを見つけて取り押さえた田崎への敵意と警戒の言葉の前振りのように挿入されている話であります。荷風の筆もそれ等の事件を「しかし私には殆ど何らの感想をも与えなかった」とさらりと書き流してあり、ならばこの文が作品の中から妙に浮いていて、拙生にはこの短篇中に殊更書かれるべき記述なのかどうか、必要なら単なる雰囲気創り以外に何故必要なのかと、納豆の糸のように引っかかっていた文章なのでありました。先の磯田光一氏の指摘に接して、ようやくにこの文章が作品の中に落ち着いたような気がしたのでありました。お玉と春公の駆け落ち騒動と云うのも、そう云えば何処となく江戸の世話物めいた話であります。
 先の「二つの世界」の対置と云う主題に戻れば『狐』は詰まるところ「新しい世界-明治」と「古い世界-江戸」が二本の軸として描かれていると云えるでありましょう。しかも予め後者が前者を屈服させることはすでに了解された既定事項であります。明治維新後の日本が急激な西洋化、近代化をかち取ろうとして、様々な歪みを踏み潰すように疾駆するそのためには、古い世界を弊とし、諸悪の発する源と見做し、毀すべき廃屋であると明確に表明する必要がありました。新生日本のためにはそれまでこの世を支配してきた諸価値は、以後は一顧だにする必要もない足手纏いな代物と化したのでありました。
(続)
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