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養神館-小金井の頃 [合気道の事など 1 雑文]

 合気道養神館道場が代々木から小金井に移転したのが昭和四十八年で、拙生が入門したのが昭和五十五年であります。小金井道場が養神館合気道の聖地として順調に発展していた頃でありましょうか。
 中央線の武蔵小金井駅から徒歩で十分強の住宅街にある地上二階、地下一階の立派な建物で、大道場は百八十畳以上あったでしょう。建物で思い出すのは地下にあった更衣室のシャワーが栓を捻ると、お湯になったり水になったりでなかなか気難しかった事であしましょうか。夏場はそう苦にもならなかったのですが、冬にはこのシャワーのご機嫌を取り結ぶのに苦労いたしました。しかしシャワーがあると云うだけで有り難くはありましたが。
 当時の指導陣は塩田剛三初代館長先生は別格として、現在山梨養神館館長の竹野高文先生、合気道錬身会最高師範の千田務先生、現養神館宗家の塩田泰久先生、合気道SAの桜井文夫先生、今は整骨院を経営されているN野先生と錚々たる顔ぶれでありました。中でも竹野先生の溌剌たる稽古、千田先生の緻密な指導、N野先生の元気一杯の稽古は稽古後の充実感がひとしおでありました。先生方も若かったから、合気道に対する気概や熱意が広い道場も狭く思えるくらい稽古空間に充満しておりました。
 後はフランス支部長のムグルザ・ジャック先生、御互道の三枝誠先生、養神館合気道龍の安藤毎夫先生、山梨振武会の保坂巧二先生、今は確か京都で合気道を指導されているレユニオン島出身のフランス人P・Jさん、養神館本部の千野進先生、オーストラリアの森道治先生と、この辺りまでが小金井道場を知る方々でしょうか。森先生は入門は新宿で、内弟子となってから小金井で生活されていました。名前は挙げませんでしたが、この他にも今は合気道から離れられた何人かの内弟子の方々がいらっしゃいました。また拙生は新宿に現本部となる道場が出来た時にそちらへ稽古の比重を移してしまったので、小金井と新宿が並存していた頃に小金井で合気道を始められた方々とはあまり面識がありません。
 異色の顔ぶれとしては、P・Jさんの後辺りであったでしょうか、イギリスから若者二名が内弟子として入門していた時期がありました。始めは日本語も殆んど喋ることが出来ずに、いつも緊張した硬い表情と、万事に当惑したような色を眉間に浮かべて道場で過ごしていましたが、一年もすると過酷な稽古に耐えた自信に溢れ、見違えるような逞しい顔つきに変貌しておりました。当時朝日新聞の多摩版に写真入でこの二人が紹介され、たどたどしい日本語と赤い頬をよけい赤くして照れておりました。惜しいかなこの二人も今は合気道から遠ざかってしまっています。
 外国人で印象に残っている方では、アメリカから合気道を習うためにやってきたLさんと云う女性がいらっしゃいました。彼女の稽古に対する熱心さは日本人見習うべしと云うべきもので、稽古していてちょっとでも疑問に思うことや腑に落ちないことがあると、深刻な表情でそこだけを容赦なく何度も繰り返して、相手を辟易させること暫しでありました。しかし拙生はこの稽古態度は好きでありましたが。稽古時間以外で相撲の話になると目を輝かせて、あの力士は技が綺麗だとか、あの勝負では一方の力士に気合が足りなかったなどと不自由な日本語を汗しながら駆使して口角に泡を溜めて話していらしたのを思い出します。
 このLさんに、ある時山岡鉄舟の墓は何処にあるか教えろと聞かれ、谷中の全生庵にあると教えると、どう行くのかと重ねられ、拙生は地下鉄千駄木駅で降りて歩いて数分であると紙に書いて、ローマ字でルビをふって渡したことがありました。なにやら連れて行って欲しそうな表情でありましたが、折悪しく拙生は別の用事があったので同道は出来ませんでしたが、拙生の渡した紙切れを頼りに武蔵小金井から電車に乗ってきっと出かけられたに違いありません。Lさんは今はアメリカに帰られているのでしょうが、彼女は日本語がことの他下手っぴいであったので同道してあげればよかったかなと、今頃思っている拙生であります。
(了)
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コメント 14

水登

大変興味深く読まさせていただきました。
私自身、忘却していたような記憶を掘り起こしていただき有り難うございます。
私が小金井道場に入門したのは、恐らく昭和59年。当時は、小金井に住んでおりましたが、その後、61年に社会人になり、会社の寮に入り、より近いという理由で、新宿(落合)道場に通うようになりました。
当時は、千野先生、森先生が指導部の一番の若手でした。
私は、P・Jさんの指導が大変印象に残っております。また、その頃国際部にいらっしゃった
マーク・ベーカーさんの指導も思い出深いモノがあります。
はんぶさんは、覚えていらっしゃいますでしょうか?
by 水登 (2009-01-22 11:23) 

汎武

水登さんコメントを有難うございました。時期からすると、おそらく道場で一緒に稽古をさせて頂いたこともあったでしょうか。マークさんはよく覚えております。確か国際連盟の立ち上げにご奔走されていたかと思います。水登さんは今も稽古は続けていらっしゃるのでしょうか?
by 汎武 (2009-01-22 15:18) 

水登

コメント有り難うございます。
いろいろ事情があって、今は、本部ではなく、高田馬場道場の会員です。
ただ、昨日は、たまたま、本部道場へ行って、三枝誠先生の合気姿勢会の指導を受けました。(本部も、もうすぐ移転ですが)
これは剛三先生の神業系の練習だけをやるので非常に楽しく、やりがいが
あります。4,50人の人が来て大変盛り上がっております。
また、一昨日は、実家で1967年発刊の「合気道入門」を見つけました。
剛三先生の受けを井上強一先生が取っている写真があり、驚き?ました。


by 水登 (2009-01-27 18:12) 

汎武

拙生は現高田馬場道場は一度もお邪魔したことがありません。
水登さん、それぞれの立場で、ともかく合気道を続けてさえいれば、その内にご一緒に稽古出来る時が来るやもしれませんね。
養神館本部も移転されるようでありますが、心機一転益々のご繁栄をお祈りいたしております。
by 汎武 (2009-01-27 22:03) 

伸之介

 初めまして、伸之介と申します。

 小ブログのリンク元から貴ブログに偶然辿り着きました。

当時の懐かしい状況が目に浮かびます。本当に有り難うございます。



 参宮橋で小料理屋を営む祖母の進めで小金井の道場に通ったのが

昭和51or52年頃。15or16歳の頃でございます。


 当時の館長のご子息には特に可愛がって頂いた(ハードな稽古)

んですが、オーヤギ&コヤギ派だったもので、彼等の独立の道場への

移籍(笑)を余儀なくされましたが、青春の良い思い出でございますね。


 来年50歳になりますが、独り世界恐慌が終ったら復帰(笑)したいです。

余りにも懐かしくてコメントさせて頂きました。

伸之介/拝
by 伸之介 (2009-12-13 12:10) 

汎武

伸之介さんコメントを有難うございます。
養神館も何度か転機があって、その都度中の者は色々悩ましい経験もいたしますが、これもある種の稽古であると捉えたいと考えます。拙生も今は千田先生に師事する者で養神館を離れてはおりますが、塩田剛三先生の教えを養神館道場で直に受けることが出来たのは、まことに幸運であったと今も思っております。つまり、拙生もいい歳になったと云うことでありますが。・・・
伸之介さんのご復帰を期します。
by 汎武 (2009-12-13 13:07) 

水登

はんぶさま
(申し訳ありません。前の書き込みは削除願えないでしょうか?)
ご無沙汰しております。
この3連休に行われた千田先生の寒中稽古に行って参りました。
そこで感じたことは、合気道養神館の術理に関しては、
昔の黒帯会よりも、千田先生の今の教え方の方がはるかに
洗練されている、ということでした。
ただ、逆に少し不思議だったのは、古参の方々で、その素晴らしく
洗練された千田先生の術理に合わせたやり方というよりは、
昔ながら?の力で当てるような技を使う人が、若干見受けられた
ことです。
今でも、肘関節と肩関節が痛みますし、首も軽いムチ打ち状態に
なりました。
人間というものは、素晴らしいものを目の当たりにしても、
なかなか簡単には変われないと言うことなのでしょうか?

by 水登 (2010-01-13 17:50) 

汎武

水登さん、寒稽古お疲れさまでした。
ご指摘いただいた点、確かにあると思います。古参の人と云うよりは寧ろ弐、参段の中堅クラスによく見られる傾向かと思います。千田先生の術理の地平への憧憬、或いは先生の指導者としてのご力量への信頼とは別に、確かに「移籍」組には様々な今までの自己の修錬に、千田先生ならぬものの痕跡が残ってはいます。また各支部の個々の「伝統」と云う部分もあるでありましょう。
ここに自省的であるかどうか、或いは自己の修錬の足跡に「建設的な否定」を加えられるかどうかは、「移籍」組にとって、勿論拙生にとってもこれからの修錬の上でまことに重要なことであろうと思われます。「千田先生の指導に忠実に」とは、誰もが云う言葉でありますが、どう云うような気概で、方法でそれに取り組むのか、千田先生の指導にどう敏感に、的確に反応するかに対して、個々に差があることは仕方のないことかもしれません。
ここを吸収出来る指導の方法を模索するのも、これからの我々の仕事であろうとも思われます。
水登さんに一度千田先生の講習会への参加をお勧めいたします。感じることが出来る方には、大いに糧となることでありましょう。
by 汎武 (2010-01-13 18:08) 

伸之介

 汎武様ご無沙汰しております。今日も貴blogよりのご訪問が・・・
実はあれから“黒帯:その2/対人力”http://bit.ly/rufAf9 を記事up!
この本を呉れた御仁も縁合って合気道を六十の手習い をするとの事。
但し、シンシントーイツの道場との事。
失礼致しました。m(_伸_)m

by 伸之介 (2011-10-10 22:03) 

汎武

伸之介様
こちらこそ随分ご無沙汰しております。
10月8日土曜日は錬身会の演武大会でありました。江戸川スポーツ
センターが会場で、養神館が新宿に道場を新設した頃の、中野体育館
での演武大会の雰囲気に似たものを感じます。
ところで、藤平先生も今年5月に逝かれて、寂寞の感一入のこの頃であ
ります。
伸之介様のご復帰は未だでありましょうか?
by 汎武 (2011-10-11 01:18) 

星野

初めまして。私は、当時合気道の師範をしていた者の娘です。
養神館で内弟子をしていたようで、ムグルザジャック先生も、うちへよくいらしてました。
このブログも、約10年前の記事ですね。
このコメントが目にとまるかわかりませんが、父が亡くなってもう20年です。少しでも父と関わりがあったのなら、お話を聞いてみたいなと思ったもので。
by 星野 (2018-07-19 14:36) 

汎武

星野様 コメントを有難うございます。
御尊父様のお名前とか入門年が判れは、師範をされていたと云う事なので記憶にはあると思うのですが。・・・
今度折があれば千田先生にでも伺ってみます。
ところでご本人は合気道の稽古はやっていらっしゃらないのですか?
by 汎武 (2018-07-19 17:07) 

星野

コメント、見ていただけたんですね。お返事ありがとうございます。
父は、良男と申します。私の苗字です。
その当時に東京にいたのかは時期が詳しくはわからないのですが、長野で教えてもいました。単身赴任みたいな形で、東京でも教えていたということですが…あまりに小さくて詳細は覚えていないのです。四段とは聞きました。
ムグルザジャック先生の先輩にはなると思います。生きていたら81歳とかですので、だいぶ昔の話にはなりますが…
私は、残念ながら合気道はしておりません。父も、全く教えてはくれませんでした。
理由を聞いたら、女の子は、合気道を習って下手に勝てると思って抵抗するより、逃げたほうがいいから。との事でした。
父の孫もすべて女の子ですので、誰も合気道には関わっていないのです。
兄は、剣道、空手はやっていましたが。
父は交通事故でムチウチやら、ヘルニアで手術などして、体を壊してからは、合気道をやっていなかったと思います。なので、本当に私が小さい頃のことです。警察やら、ヨットスクールなどでも教えていたような話は聞いております。
by 星野 (2018-07-19 20:24) 

汎武

星野様 先日千田先生と話していた時星野さんの話題が出て、千田先生は覚えていらっしゃいました。本部道場の風呂を直して貰った事があった等と懐かしそうに話されていまっした。時期の関係で拙生はお会いした事はありませんが、一度お話しをさせて頂きたかったです。
by 汎武 (2018-07-29 16:53) 

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