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あなたのとりこ 40 [あなたのとりこ 2 創作]

 土師尾営業部長は片久那制作部長とほぼ同じ頃大日本地名総覧社に、これも同じく編集者として入社したと云う事でありました。しかし贈答社になった後は色々と経緯があって営業部に籍を移して、その後はずっと営業の仕事をしてきた人のようであります。
 日比課長も大日本地名総覧社時代に二人に遅れる事二年で入社した人で、その時代の生き残りは経理の甲斐計子女史を入れて四人という事でありました。この会社が贈答社となったのは今から五年前の事だそうでありますが、古い人がすっかり辞めて仕舞って、残った若手四人が贈答社をこれ迄実質的に切り盛りしてきたと云う事になりますか。
 因みに贈答社の現社長は、本来は大日本地名総覧社と取引のあった紙の販売会社を経営している人だそうで、今でもその紙販売会社の社長でもあるそうであります。
「二階の階段脇に、株式会社吉田紙販売、と云う会社がありますが、そこが社長の兼業している紙の販売会社なのでしょうか?」
 話しの途中で頑治さんが日比課長に訊くと日比課長は数度頷くのでありました。
「そうそうそう。それにウチが入っているビルのオーナーでもあるよ。それだけじゃなくて東上野にももう一棟五階建てのビルを持っているかな」
「へえ。こんな聞き方は不謹慎かも知れませんが、社長は遣り手なのでしょうかね?」
「遣り手かどうかはよく知らないけど、苦労人ではあるかな」
 日比課長は手にしていたコップのビールをグイと開けるのでありました。「自分でリヤカーを引いてあっちから紙を仕入れてこっちに売りに行く、なんてな感じで、弟さんと二人で吉田紙販売を今の規模にしたとか云う話しを聞いた事があるよ」
「ふうん。大したものですね」
 頑治さんは、この社長なる人は自らの苦労を厭わず仕事に精を出す篤実な経営者なのであろうと勝手に頭の中にその人物像を描いたのでありました。
「縁あって大日本地名総覧社の経営も引き受ける事になったけど、まあ、五階建てのビル二棟のオーナーでもあり吉田紙販売の社長でもあるから、印刷やら製版やらその他の大日本地名総覧社と取引のあった色んな会社から頼まれて、仕方なく左前になった会社を引き受けたと云うのが実情だな。赤字にならなければ良いか、と云う程度の腹心算で」
「自分が社長になった限りは会社を前より大きくしよう、と云う秘かな目論見と云うのか野望と云うのか、そんなものはお有りにならなかったのでしょうかね?」
「まあ、無かったんじゃない。出版社のオーナーだと云う、云ってみれば名刺の飾り程度の了見だったんだと思うよ。実際大日本地名総覧社から贈答社になって、会社の規模も人員も、それに売り上げの方も小さくなったしね。おまけに出版社じゃなくなったし。社長としたら名刺の飾りと云う目論見もあっさりパーになったような具合だな」
 日比課長はそう云って皮肉っぽく笑うのでありました。隅の席で黙々と日本酒の升酒を呷っていた片久那制作部長が、その日比課長の云い草を聞いて少し眉を顰めるのを頑治さんは横目にチラと認めるのでありました。日比課長の方はそれには全く気づかなかったようで、空いた自分のコップに手酌でビールをドボドボトと注ぎ入れるのでありました。
「ところで唐目君、刃葉君には魂消ただろう」
(続)
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