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お前の番だ! 315 [お前の番だ! 11 創作]

「私は特に、是路の名前の存続には拘らないのですが」
 是路総士が矢張り呑気そうにそう云うのでありました。
「いやそうはいきません」
 空かさず鳥枝範士が目を是路総士に戻して返すのでありました。「常勝流宗家は代々、是路家の血を受け継ぐ者、最大限譲っても、是路姓を名乗る者が継ぐと云うのが大前提です。ここでその血統が途絶えたとしたら、ワシは先代に対して申しわけが立ちません。先代どころか、是路殷盛道祖にも代々の宗家先生に対しても腹を掻っ捌いても詫び足りません」
 鳥枝範士は割腹の仕草をして見せるのでありました。
「それに、常勝流には宗家にしか伝えられない秘伝の技がありますから、この秘伝を保存すると云う点に関しても、威治君はあんまり適当な後継ではないと私も思います」
 寄敷範士が云い添えたこの秘伝の技と云うのは、代々の当主にしか伝えられない五本の体術技で、この秘伝五ヶ条を習得して初めて、常勝流武道総士、の称号を得る事が出来るのでありました。この辺が如何にも古武道の流派らしいところでありましょうか。
「まあしかし常勝流は古武道と云っても、そんなに古い歴史があると云うわけじゃないですからな。道祖の修業歴を遡っても精々江戸後期と云う武道です。つまり近代に入ってから創られたようなものです。まあ、古武道の常として我が流派も、戦国時代の肥前竜造寺家で秘かに伝えられてきた、なんと称しておりますが、これはその儘信用してはいけない」
 是路総士が呑気そうな顔で、そんな機微に触れるような事を云い出すのでありました。常勝流を今の体系に整理して世に出したのは是路殷盛道祖に他ならないのでありますが、流派の箔をつけるためか殷盛道祖は自らを中興の祖と称して、現在の佐賀や長崎に勢力を張った戦国時代の竜造寺家に流派の源流を求めたのでありましたが、それは道祖が籍を置いていた藩がそちらにあった、神島藩、と云う小藩だったところからでありましょう。
 殷盛道祖自身は、江戸に生まれた人なのでありました。それが猟官運動の末にようやく神島藩に召し抱えられて、そこの江戸屋敷で剣術指南役をやっていたのでありました。
 道祖が常勝流を興した時はもう明治の代となっていて、新興武術流派が世の認知を得るためにも、神島藩時代の上役が新政府の海軍に在籍していた伝に依って、その上役の名声を頼りに、相談結託の上で竜造寺家に秘かに伝わる剣術技法が元であると、要するに大風呂敷を広げたのでありましょう。ですから殷盛道祖は常勝流初代であると同時に、竜造寺家に伝わったとされる陰伝流剣術と云う流派の十七代当主とも称していたのであります。
 勿論件の上役が十六代と云うわけでありますが、これは全くの眉唾と云うもので、その上役は神島藩では一貫して行政官僚であったようであります。ただ家柄は古く、竜造寺に仕えた先祖も確かに居たと云うのは紛れもない史実のようでありました。
 勿論、来歴が確かな古武道流派も多く在りはする一方で、遡源にこう云った神話や、糊塗や曖昧な部分を多く持つ流派も少なくないのであります。それでも常勝流に関して云えば、殷盛道祖以降は確たる歴代を数え、その卓越した技術と術理に依って武道界で燦然たる一派を為す存在となったのでありますが、これは偏に歴代の勲と云うものでありましょうし、曖昧を極力排して流派の篤実を示した当代是路総士の業績でありましょう。
(続)
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