お前の番だ! 42 [お前の番だ! 2 創作]
どちらかと云えば興堂派本部道場へは水道橋駅が最寄りとなるのでありましょう。しかし是路総士が御茶ノ水駅から駿河台下の方へ道を下り、明治大学の間を抜けて山の上ホテル前を右また左と折れ錦華公園に至る坂道の風情の方が、水道橋から真っ平らな白山通りを歩くより気に入っているので、畢竟、通い道はこのルートとなるのでありました。
もう殆ど暮れた街を歩くのでありますから、風情も情緒もないものと万太郎は思うのでありますが、そんな差し出がましい事を師匠に云えるわけはないのでありました。それに確かに調布の仙川駅から新宿経由で神保町に行くのなら、各駅停車しか止まらない水道橋より、新宿から停車駅二つで御茶ノ水まで快速電車で行った方が早いのではありましたし。
「ご免下さい。総士先生がお着きになりました」
なかなか立派な拵えの興堂派本部道場の玄関を入って万太郎が中に向かって声を上げると、すぐに道分興堂範士が自ら是路総士を玄関まで迎えに出てくるのでありました。興堂範士の後ろには若い門弟二人がつき従っているのでありました。
「ご苦労様でございます」
道分興堂範士は二人の門弟共々玄関の板張りに威儀を正して正坐して、是路総士に向かって律義な一礼をするのでありました。
「ああどうも、お出迎え恐れ入ります」
是路総士は玄関沓脱ぎに立った儘こちらも丁寧な立礼を返すのでありました。弟弟子だからと云って、是路総士は分派した興堂範士に対して決して不遜な態度等とる事なく、寧ろ同格の礼を以って何時も対するのでありました。
「先日の吾輩の還暦祝いにはご丁寧な進物をいただいて有難うございます」
興堂範士が再度低頭するのでありました。
「いやいや、本当は私も還暦祝いに出席したかったのですが、生憎、前からの予定で北海道の倉阿久君の処の出張稽古が入っていたもので失礼しました」
北海道の倉阿久君と云うのは是路総士の古い門弟の一人で、現在は常勝流の北海道支部長として札幌の方で活躍している人であります。
「とんでもない。代理に寄敷君と鳥枝君が来てくれて、色々昔話しに花が咲きましたわ」
興堂範士は顔の前でひらひらと手刀を横にふるのでありました。「いやまあ、話は中でと云う事で、どうぞお上がりください」
入門順で云うと今現在の主たる現役では是路総士が一番上の兄貴、その下が興堂範士、そのまた下の弟が鳥枝範士と寄敷範士となるのであります。
興堂範士の門弟二人が急ぎ沓脱ぎに降りて、是路総士の横で姿勢を低くして介助の役を担うのでありました。まあ、介助と云っても特に何か手出しをするわけではなく、相撲の露払いや太刀持ちみたいな役どころと云った感じであります。
門弟達の慎み深くしてきびきびとした挙措は、興堂範士の弟子に対する教育が行き届いている証しでありましょう。万太郎なぞはその二人の、慎み深くしてきびきびとした介添えの対象外でありますが、これは常勝流門弟の兄弟関係からして当たり前の事で、万太郎は荷物を抱えた儘で、一行の最後尾につき従って奥の間の方へ進むのでありました。
(続)
もう殆ど暮れた街を歩くのでありますから、風情も情緒もないものと万太郎は思うのでありますが、そんな差し出がましい事を師匠に云えるわけはないのでありました。それに確かに調布の仙川駅から新宿経由で神保町に行くのなら、各駅停車しか止まらない水道橋より、新宿から停車駅二つで御茶ノ水まで快速電車で行った方が早いのではありましたし。
「ご免下さい。総士先生がお着きになりました」
なかなか立派な拵えの興堂派本部道場の玄関を入って万太郎が中に向かって声を上げると、すぐに道分興堂範士が自ら是路総士を玄関まで迎えに出てくるのでありました。興堂範士の後ろには若い門弟二人がつき従っているのでありました。
「ご苦労様でございます」
道分興堂範士は二人の門弟共々玄関の板張りに威儀を正して正坐して、是路総士に向かって律義な一礼をするのでありました。
「ああどうも、お出迎え恐れ入ります」
是路総士は玄関沓脱ぎに立った儘こちらも丁寧な立礼を返すのでありました。弟弟子だからと云って、是路総士は分派した興堂範士に対して決して不遜な態度等とる事なく、寧ろ同格の礼を以って何時も対するのでありました。
「先日の吾輩の還暦祝いにはご丁寧な進物をいただいて有難うございます」
興堂範士が再度低頭するのでありました。
「いやいや、本当は私も還暦祝いに出席したかったのですが、生憎、前からの予定で北海道の倉阿久君の処の出張稽古が入っていたもので失礼しました」
北海道の倉阿久君と云うのは是路総士の古い門弟の一人で、現在は常勝流の北海道支部長として札幌の方で活躍している人であります。
「とんでもない。代理に寄敷君と鳥枝君が来てくれて、色々昔話しに花が咲きましたわ」
興堂範士は顔の前でひらひらと手刀を横にふるのでありました。「いやまあ、話は中でと云う事で、どうぞお上がりください」
入門順で云うと今現在の主たる現役では是路総士が一番上の兄貴、その下が興堂範士、そのまた下の弟が鳥枝範士と寄敷範士となるのであります。
興堂範士の門弟二人が急ぎ沓脱ぎに降りて、是路総士の横で姿勢を低くして介助の役を担うのでありました。まあ、介助と云っても特に何か手出しをするわけではなく、相撲の露払いや太刀持ちみたいな役どころと云った感じであります。
門弟達の慎み深くしてきびきびとした挙措は、興堂範士の弟子に対する教育が行き届いている証しでありましょう。万太郎なぞはその二人の、慎み深くしてきびきびとした介添えの対象外でありますが、これは常勝流門弟の兄弟関係からして当たり前の事で、万太郎は荷物を抱えた儘で、一行の最後尾につき従って奥の間の方へ進むのでありました。
(続)
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