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もうじやのたわむれ 198 [もうじやのたわむれ 7 創作]

「そうですね、危うく誘拐されるところでした」
 拙生はあんまり緊張感のない口調で云うのでありました。
「ご無事で生還された事、何よりでありました」
「へい、有難うございます」
 拙生は無表情にそう云いながら椅子に腰を下ろすのでありました。「ところで今日これからの散歩の件ですが、少し郊外まで足を延ばして、すっかり旅行者の気分でこの近辺の見所とか、名所旧跡なんぞを巡ろうかと思っているのですがね。そう云う散歩のルートを考えて置くと、昨日仰っておられましたが、さて、どう云う按配になりましたでしょうかな?」
「昨日あんな目に遭われたと云うのに、今日も外へお出かけになるのですか?」
「ええ、その積りでおりますが、いけませんかな?」
 コンシェルジュはやや首を傾げて拙生を見遣るのでありました。
「いけなくはありませんが、なかなか豪胆な亡者様でいらっしゃると思いましてね」
「なかなか鈍感な亡者様、と云ったところでしょうかな」
「いやいや、滅相もない。そんな事は云っておりません」
 コンシェルジュが慌てて掌を横にふるのでありました。
「どっちでも構いませんよ。娑婆でも自分の評判なんかは気にしませんでしたから」
「まあ一応、今日のコースを考えては置いたのですが、・・・」
 コンシェルジュはそう云ってデスクの下から一枚の紙を取り出して、拙生の前にそろそろと押し遣るのでありました。「こんなところで如何でしょうかな?」
 拙生はテーブルの上に手を載せて、やや身を乗り出すようにして紙を見るのでありました。そこにはこの宿泊施設を起点として、幾つかの観光スポットを周遊するルートが、所要時間入りで書いてあるのでありました。拙生はその紙に暫く見入ってから、宿泊施設の次の、一番初めに書いてある訪問地を指差しながら質問をするのでありました。
「この畝火の白檮原タワーと云うのはなんでしょうかね?」
「テレビとかの電波塔です。鉄骨を組み上げた構造物で、赤白に塗り分けられていて、高さは三百三十三メートルあります。なかなか秀麗な塔で、邪馬台郡のシンボルと云ったところでしょうか。これは強艦地方の仏蘭西と云う地域で万地方博覧会が開かれたのを記念して建てられた、ケッヘル塔と云う構造物を真似て造られたものです。ケッヘル塔は高さが三百二十メートルですが、畝火の白檮原タワーはそれよりも十三メートル高いのです」
「ケッヘル塔? エッフェル塔、ではないのですか?」
「いや、ケッヘル塔です。これも強艦地方の、墺太利地域出身のケッヘルと云う名前の霊が考えた、材料の鉄骨に出来た年代順にケッヘル番号と云う通し番号をふって、組上げし易いようにする画期的な工法によって造られた塔ですので、そう呼ばれております」
「ケッヘル番号、ですか。・・・画期的な工法、ねえ」
 先の和装の料理人の言葉と同じで、これもどんなに胡散臭くても其の儘受け入れるのが、亡者としての正しい在り方だと拙生は心の中で呟くのでありました。「何やら、頂上にスピーカーがあって、そこからクラシック音楽が流れてきそうな塔ですね」
(続)
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