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大きな栗の木の下で 100 [大きな栗の木の下で 4 創作]

 御船さんは横に取りつけられた金色の短い鎖を持って、豚カツのキーホルダーを目の前に翳すのでありました。
「こんなんじゃあ御船君のお腹の方は、全然一杯にはならないけどさ」
「いやいや、嬉しいよ。有難う」
 例え腹は一杯にはならなくとも、しかし御船さんのそのちょいと上の胸の方は、今一杯になっているのでありました。一杯になった御船さんの胸の奥で、心臓が秘かにファンファーレを鳴らしているのでありました。
 あの日の放課後の、御船さんに云わせれば偶然拾った小さな宝石のような出逢いの時の、全く取り留めもない会話の中で教えた御船さんの誕生日を、沙代子さんが忘れずにいてくれたことがなにより嬉しいのでありました。あの日以来、特に二人きりになるチャンスもなく、それを欲するような素ぶりも沙代子さんからは感じられなかったのではありましたが、しかしひょっとしたら沙代子さんの方も自分に一定以上の好意を寄せるようになっていて、この誕生日プレゼントがその好意を御船さんに伝えるための、或る種の沙代子さんなりのサインと云うのか、告白なのかも知れないではありませんか。そう考えると、御船さんはその考えに全く以って陶然とするのでありました。
 しかしこの誕生日プレゼント以後も、特に沙代子さんの自分を見る熱い眼差しとか、表情のぎごちなさとか、それにより緊密になろうとする意欲のようなものはあまり感じられないのでありました。相変わらず沙代子さんはごく普通に、寧ろ御船さんの目から視ると落胆する程クールで、他の男子のクラスメートと同じ程度の親しさ以上で御船さんに対しているとは思えないのであります。まあ、以前よりは多少打ち解けた雰囲気と云うのは、クラスの中での少ない会話の機会中に感じられなくもないのではありましたが。
 しかしそれは沙代子さんの羞恥心とか矜持とかが邪魔をして、御船さんに対して素直になれないだけなのかも知れません。若しそうなら、今度は自分の方が、沙代子さんのその羞恥心とか矜持とかを霧消してあげるアクションを起こさなければならないのであります。
 そうではあるものの、御船さんには大いに気後れがあるのでありました。だって沙代子さんの気持ちが御船さんの読み通りではなくて特段盛り上がってもいないと云うのに、軽率で鈍感な行動などして見せたら、返って沙代子さんを遠ざけて仕舞う結果なるかも知れないではありませんか。そうなったら立つ瀬もないし、元も子もないのであります。
 今度は御船さんの方の羞恥心とか矜持とかが、御船さんの勇気と手足の自由を奪うのでありました。御船さんは自分の軽挙が不首尾を招くかも知れないと云う想像に怖じて、なにも為せない儘焦れったい日々を送るのでありました。
 まあ後日、沙代子さんの誕生日に御船さんはお返しと云う名目で、沙代子さんが豚カツのキーホルダーを買った、街の繁華街にある店を探し出して、そこでショートケーキのキーホルダーを贖って沙代子さんに渡しはしたのでありました。そんなのは御船さんの沙代子さんへの思いの、万分の一も表現出来ていないと云う敗北感のようなものを感じつつ。それに自分の気持ちの程からすればあまりに能のない、単に義理を果たしていると云う低調な印象をしか沙代子さんに与えられないであろうことを、大いに歯痒く思いつつ。・・・
(続)
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