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あなたのとりこ 722 [あなたのとりこ 25 創作]

 夕美さんが売店に歩いて行く後ろ姿を見ながら、頑治さんはどうしたものか急にもの寂しくなるのでありました。またもやここで夕美さんの傍を離れるのは、自分の本意に明らかに反しているのではないでありましょうか。
 しかし夕美さんのお母さんの病状が優れないし、近々病院に入院する可能性もあると云う現実は、頑治さんの本意なんぞと云うものは簡単にさて置くべき重たい事態に違いないのであります。それでも尚、夕美さんの傍を離れるのが辛いと云うのなら、頑治さんが東京に戻るのを先送りして、もう少しこちらに残るしかないでありましょう。
 とは云うものの、これ以上の滞在は頑治さんの懐具合が許さないのでありました。それに宿代わりに居候させて貰っている友達にも、この上尚も厄介はかけられなと云うものであります。何ともはや実に情けない事情でありますけれど。
「何をそんな不機嫌そうな顔して遠くを眺めているの?」
 自動販売機で缶コーヒーを買って来た夕美さんが、それをやんわり手渡しながら首を傾げて頑治さんに訊くのでありました。
「何だかこれでまた暫く夕美と逢えなくなると思ったら、急に寂しくなったんだよ」
 頑治さんがそう応えると、夕美さんは缶コーヒーを受け取った頑治さんの右手を自分の右手で包むように握るのでありました。
「いっその事、こっちに戻ってくれば良いのよ」
 夕美さんは少し力を籠めて頑治さんの手を握るのでありました。「向うでの生活を切上げてこっちに生活の拠点を移せば、あたし達は逢いたい時に何時でも逢えるじゃない」
「まあ、そうだけど。・・・」
 頑治さんはそう云ってまた遠くに視線を馳せるのでありました。
 その儘黙って仕舞った頑治さんの手が何だか少し冷えたように感じたのか、夕美さんは頑治さんの手を包んでいた自分の手をそっと離すのでありました。
「東京で遣りたい事があるから、向うに未練があるるのね、頑ちゃんは」
「確かに会社を辞めたこの機が良いチャンスではあるけど、でも俺としては向うの生活をきっぱり切上げてこっちに戻って来るには、少し速すぎるような気がするんだよ」
 そう云いながらも頑治さんは一体何が早すぎるのか、自分でも茫漠としているのでありました。確かに自分は向うの生活にどう云う未練を持っていると云うのでありましょう。単に向うを切上げてこちらに戻って来ると云う事が、何やら隠遁者になるような気がして仕舞うからでありましょうか。そう云うのは何とも好い気な勘違い以上ではないでありましょうし、了見違いも甚だしいと云うのも頭の中では了解している事であります。
 単に現状に変更を加えるだけの勇気がなくて、現状にめそめそと縋り付いているだけかも知れません。度し難い現状維持派であります。
「ああご免ね、頑ちゃんには頑ちゃんの考えがあるのよね。それなのにあたしがそれをどうこう云うのは、鈍感と云うものだし筋違いよね」
 夕美さんが気を遣って、そう云って頑治さんに笑んで見せるのでありました。その笑みを見ていると頑治さんは夕美さんに対する済まなさで消えも入りそうでありました。
(続)
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