SSブログ

あなたのとりこ 715 [あなたのとりこ 24 創作]

 頑治さんは次の日はのんびり朝寝を貪るのでありました。もう出社時間を気にしないで済むと云うのは、何と気楽に布団の中にいられるのでありましょうか。
 とは云っても、那間裕子女史や袁満さん、それに均目さんと違って在職年数、いや月数の少なさから退職金が出なかった頑治さんは、この先の生活費工面の心配があるのでありましたが、まあ、仕事を辞めた次の日くらいはお気楽に朝寝坊をしても罰は当たらないでありましょう。多少の蓄えくらい、ありもする事でありますし。
 それに夏に予定している帰郷であります。帰郷後に決まった予定なんかないのでありますから、好きなだけ向うに居られるのであります。つまり夕美さんと存分な逢瀬を楽しめるのであります。それは考えただけでも心躍る事であります。
 思えば夕美さんとは大学四年生の時に、こちらで偶然再会してからの付き合いでありますから、同じ高校に通っていたにも関わらず高校生の時には、その存在くらいは知ってはいたけれど、滅多に口もきかない仲なのでありました。だから向こうで、睦まじく二人でデートをしたとか、喋々喃々と話しをしたとか云う事は今迄全くないのでありました。依って、向こうで逢瀬を楽しむなんぞは、実に以って新鮮なる事柄なのであります。
 どうせこちらに当面の用事はないのでありますから、少し早い目に帰郷して、夏の海にでも行ってみると云うのも好いでありましょう。或いは郊外にある街を一望する小高い山の公園の木蔭で、夕美さんと寄り添って、島々の多く浮かんだ海に沈む残照を眺めながら静かに時間を過ごすのも好いでありますか。これは楽しみであります。
 それに向うを切上げる時には、丁度その時に夏休みを取る夕美さんを帯同しているのであります。そうしてこちらでもまた、夕美さんと暫く一緒に居られるのであります。夕美さんがこちらを引き上げて向こうに帰って仕舞ってからは、こんなに長い時間一緒に過ごす機会は今迄一度もなかった事であります。楽しみは長続きするのであります。
 いやしかし、考えたらそんなに長く向こうに滞在するだけの金銭的な余裕が、失業した頑治さんにあるのでありましょうか。頑治さんは布団の中で急に眼を開いて、天井の一点を見ながら預金通帳を頭の中に思い浮かべるのでありました。
 まあ、向うでの滞在と旅行費用は何とかなるとしても、こちらに戻った後の生活が逼迫するかも知れません。預金通帳に如何程の残金があるのかちゃんとは判らないのでありましたが、ここで不安になって布団から抜け出して小箪笥の引き出しを開けて、物の陰に隠すように仕舞ってある通帳を取り出して、態々金額を確認するなんと云う野暮はしないのでありました。惰眠を貪るための布団をそのために抜け出すのはまっぴらであります。
 まあ、なんとかなるでありましょう。どうしても生活費の工面が付かないようなら、次の仕事を見付けるタイミングをちょいと早めれば良いだけの話しのであります。
 それに向うに滞在している間は、高校時代の友人とか親戚とか、知り合い宅を図々しく転々としていれば、宿泊費は節約する事が出来ると云うものであります。それに向うに帰る電車賃にしても、少々時間と手間と労力はかかるけれど、普通列車を乗り継ぎ乗り継ぎしながら帰れば、相当に浮かすことが出来ると云うものであります。なあにどうせ失業者でありますから、時間と気楽さは持て余す程持っているのでありますし。
(続)
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。