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あなたのとりこ 694 [あなたのとりこ 24 創作]

 しかし、それくらいで許してくれる那間裕子女史ではないのでありました。女史は離れた掌を懲りずにまた頑治さんの右手の甲に左掌を重ねて、今度は容易に振り解かれないように頑治さんの手を、力を入れてグイと握り締めるのでありました。
「いやあ、もう、こう云うのは、まごまごして仕舞いますねえ」
 頑治さんは態とお道化たように云うのでありました。しかし変な風に険悪な雰囲気になる事を恐れて、無理に那間裕子女史の手を振り解く事は避けるのでありました。
 那間裕子女史は頑治さんの右手を持った儘、先程頑治さんになみなみと日本酒を注がれたコップを右手で持ち上げるのでありました。中の酒がほんの少し縁から零れてコップを持つ那間裕子女史の指を濡らすのでありました。
「もうこうなったら、覚悟を決めるのね」
 那間裕子女史はそう宣した後、ほぼ一息でコップを空けるのでありました。
「いやあ、そう云われても、何と云うのか、・・・」
 頑治さんは怖じたように硬い表情で那間裕子女史を見るのでありました。頑治さんの優柔不断に那間裕子女史は舌打ちをして、決然と頑治さんの右手を引き寄せると、挑むように自分の左胸に押し付けるのでありました。意外にふくよかな柔らかい感触に頑治さんは一瞬息を飲むのでありました。この那間裕子女史のむやみな大胆さなんと云うものは、屹度今立て続けにコップ二杯をがぶ飲みしたところの酒の為せる業なのでありましょう。
 いや! そんな事をここで悠長に考えている場合ではないと、頑治さんは慌てて那間裕子女史の胸の上にある己が右手を強引に自分の胸元に引っ込めるのでありました。それでも那間裕子女史の左手は、頑治さんの右手の甲から離れないのでありました。
 那間裕子女史は意地になって、またもや頑治さんの右手を自分の胸の上に乗せようと引っ張るのでありました。それは案外強い力なのでありましたが、しかし頑治さんは自分の胸元から自分の手を動かさないのでありました。
 その後何度か小さな振幅で押し引きがあって、那間裕子女史は到底頑治さんの力には叶わないと諦めて、頑治さんの手からぞんざいに自分の左手を離すのでありました。
「全く、愛想もクソもないんだから」
 那間裕子女史はその後つんけんした語調で云うのでありました。
「いやあ、愛想とか無愛想とか、そう云う事では、ないんですけど、・・・」
「唐目君は案外意気地なしなのね」
「ええもう、こう見えて至って気の小さい男でして、・・・」
 頑治さんがそう云うと那間裕子女史は暫く頑治さんの顔をまじまじと見て、それから徐に溜息を吐いて苦笑いを浮かべるのでありました。
「判ったわ。つまり彼女さんの方に忠義を立てている訳ね」
「と、云いますか、まあ、つまり、そんなような、そんなようでないような。・・・」
「立派な心掛けだと褒めてあげるわ」
 那間裕子女史はすっかり白けたような云い草をするのでありました。
「どうも、面目ありません」
(続)
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