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あなたのとりこ 596 [あなたのとりこ 20 創作]

「そうして貰わなければ会社の存続が危うくなると云うのは、この報告書の数字から明白だろうね。この危機はかなり差し迫ったものと云うしかない」
 社長は眉間に皺を寄せて、さも深刻そうに囁くのでありました。
「何だか会社存続の危機を云い募る事で、要は従業員の賃金や待遇を落とそうと云う策謀と考えられなくもないわね、その芝居じみた顔や云い方を聞いていると」
 ここで那間裕子女史が喋り出すのでありました。「この会計報告書にしたって、春闘の時には出してこないで、如何にも急拵えにこの局面で出してくると云うのも、何だか社長の秘かな策略を疑わせるに十分、と云わざるを得ないのじゃないかしら」
「何て事を云うんだ那間君は!」
 ま、お決まりにここで土師尾常務が大変な剣幕で出張ってくるのでありまいた。「社長は真摯に会社の危機を訴えていると云うのに、そのふざけた云い草は何だ!」
「社長は春闘の時に散々組合に遣り込められた意趣返しに、売り上げの低迷をちゃっかり利用して、春闘での決定事項をここで反故にして遣ろうとしていると推理するのは、強ち不自然でもないし、そうやって土師尾さんが一々過敏に目くじらを立てるのも、その秘かな目論見の発覚を恐れての事だと疑う事も出来るんだけど、どうかしら?」
「何なんだその云いがかりは!」
 土師尾常務が一気にヒートアップするのでありました。「云うに事欠いて、那間君は何て下らない聞き捨てならない悪態をついているんだ!」
「まあ土師尾君、ここは冷静に」
 社長がまた掌を下にしてそれを腕ごと何度か土師尾常務の胸の前で縦に振って、宥めにかかるのでありました。「私はあくまでも道理を尽くして、率直に会社の現状を説明しているんだから、そうやって一々興奮して横から大声を出されると困るよ」
 社長にそう窘められて土師尾常務は一応は口を閉じるのでありましたが、未だ昂奮抑え難いように、肩を上下しながら荒い息遣いを見せているのでありました。
「しかし社長、そうはおっしゃいますけど、出し抜けに一方的にこんな報告書なんかをここで持ち出してきて、かくかく然々なんて一方的に云い募られても、こちらとしては成程左様でございますかと、俄かには首肯出来るものじゃない、と云うのも道理でしょう」
 均目さんが荒い息遣いの土師尾常務には態と目もくれないで、やや下から、社長一人の顔を凄みを利かせてゆっくりと睨め上げるのでありました。社長はいざ知らないけれど、頑治さんはそんな均目さんの目付きに対して然程の迫力は感じないのでありました。
「しかし、この報告書は掛け値なしの真実の報告書なんだし、この数字がどうしても信用ならないと云うのなら、近い内にこれを作成して貰った会計事務所の公認会計士さんを呼んで、説明をそちらからして貰っても構わないよ」
 社長は睨め上げる均目さんをちょっと見苦しそうな薄目をして見下ろしながら、努めて冷静な語調で返すのでありました。
「是非そうしていただきたいですね。しかし社長と会計士さんが結託して、適当に丸め込まれるのも癪だから、その時にこちらも専門の人を呼んでも構わないですよね?」
(続)
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