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あなたのとりこ 351 [あなたのとりこ 12 創作]

「文庫本サイズの食事マナー集とか、表書きの実例集とか、慶弔金相場事典とか」
「ああ、この倉庫で見た事はありますよその商品は」
 出雲さんはそれが置いてあると思しき作業台の右横の棚の方に視線を向けるのでありマました。しかし残念ながらそれはそこには無く、作業台の真後ろの棚に収納してあるのでありました。それでも頑治さんは今敢えてそれは云わない儘にするのでありました。
「それから東京とか神奈川とか、或いはもっと広いエリアで南関東圏とかのグルメガイドと云う冊子なんかは知っていますか?」
「それは確か以前に、金箔の名入れをしたのを刃葉さんが引き取って来て、刃葉さんが忙しいと云うので俺が代わりに、浅草にあるギフト屋さんに納品した事があったかな」
「それならどんな体裁の商品かは知っている訳ですね?」
「まあ、ぼんやりとは」
 出雲さんは頼りない返事とたじろぎの笑いを見せるのでありました。
「ああ、最近良く出るのは、折り畳まれた厚紙に企業名を印刷して、そを六角柱に組み立ててペンスタンドにする廉価な商品がありますが、これは知っているでしょう?」
「いやあ、それは知らないっスねえ」
 出雲さんは狼狽を見せるのでありました。「土師尾常務からウチで扱っている商品カタログを渡されて、一応目を通してはいるんですけどねえ。・・・」
 贈答社で扱っているギフト用の特注商品はそんなに多種多様と云う訳ではなく、覚えようと思えば大した造作も要らず覚えられる筈であります。それにカタログにある商品を実見したければ、倉庫に置いてある物は何時でも見る事も出来たのであります。でありますから、地方特注営業の仕事に就けと命じられて以来、出雲さんは今日に至る迄、そう云う極めて初歩的な下調べなんぞも何もしていなかったと云う事になるでありましょう。
 これはたとえ新しい仕事が気に入らなかったとしても、或いは具体的な仕事内容がさっぱりイメージ出来なかったとしても、それでも自分がこれから扱う商品をちゃんと認知しておくと云うのは営業と云う仕事の、いろはのい、に属するものでありますから、今日に於いて迄そう云う知識を得よとしてこなかったと云うのは、明らかに出雲さんの迂闊と云うのかものぐさと云うものであります。いや寧ろ、土師尾常務の仕事サボりに劣らぬくらいの怠慢と云うものであります。まあ、彼の人程の性質の悪さは見られないとしても。
 頑治さんは出雲さんのこの怠慢に対して内心眉を顰めるのでありましたが、実際には努めて無表情の儘出雲さんを見ながら云うのでありました。
「飛び込みで営業を掛けるとしても、さて何を売りに来たのかと問われてこれが自分で良く判らないとすれば、こんな間抜けな笑い話しはないでしょうね」
「そりゃそうだ、確かに」
 出雲さんはあっけらかんと笑い声を上げるのでありました。
 いやここは気楽に哄笑する場面ではなく、頑治さんの言葉の棘を敏く察して、寧ろ恥じ入るべきところでありましょうか。まあ、出雲さんも袁満さんに負けず劣らず大らかな人なのでありましょうが、少しの食い足りなさがこの人にもあるのでありました。
(続)
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