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あなたのとりこ 346 [あなたのとりこ 12 創作]

 それを察してか、土師尾常務に対する袁満さんの愚痴も日比課長の揶揄も、この後には何も聞こえてこないのでありました。片久那制作部長から窘められた事への不満八分と、土師尾常務がここに居ないのを良い事に悪口を述べ立てた自責の念二分から、二人は屹度マップケースの向こう側で顔を見合わせながら首を竦めたでありましょう。

「でも、ちょっと最近度が過ぎると思わない、土師尾さんの無軌道振りは」
 これはその日の昼休みに地下鉄神保町駅近くの中華料理屋で、均目さんと那間裕子女史と頑治さんの三人で昼飯を一緒にした時の、那間裕子女史の言葉でありました。
「遣りたい放題と云った感じだな」
 均目さんも眉根を寄せた表情をしながら同調するのでありました。「週に三日は真偽は別にして得意先に直行すると云う電話を寄越すし、週に三日は昼過ぎに、時には午前中から得意先に行くと称して会社を出て行って、決まって終業時間間際のタイミングで、仕事が長引きそうなので直帰すると云う電話を寄越して会社には戻って来ないもんなあ」
「でも、役員は殊更、従業員と同じ就業時間に縛られないんじゃないかな」
 頑治さんがそう云うと那間裕子女史が険しい表情をするのでありました。
「役員になって益々のさばり出したその根性が気に入らないって事よ」
「直行直帰しても今迄は自分勝手放題に残業として付けていたのが、組合結成時の団交で組合から問題にされて、それで文句を云われないように役員にして貰って、これからは大手を振って自由気儘が出来ると勘違いしたに違いない。詰まり役員になって残業手当にあくせくしなくて済むようになった事を、一人だけ最大限謳歌している訳だよ」
 均目さんも眉間の皺をその儘にして頑治さんの顔を見るのでありました。
「まあ確かに片久那制作部長は役員になる前もなった後も、仕事している時間は殆ど変わりないかな。均目君や那間さんが残業していると、一応気を遣ってか自分も居残っているからなあ。その意味で片久那制作部長は役員待遇になった事を謳歌してはいない訳だ」
「でも、それがごく普通の感覚と云うものよ」
 那間裕子女史が遣っていた箸を置いて中国茶の入った湯呑みを取って、口を付ける前に云うのでありました。「度し難い鈍感の恥知らずじゃないならね」
「度し難い鈍感の恥知らずの人は、片久那制作部長や他の従業員から、自分のそう云う態度に対して眉を顰められていると云う事を気付いていないんでしょうかね」
 頑治さんは那間裕子女史に倣って箸を置いて湯呑みに手を伸ばすのでありました。
「気付いていないんでしょうね。そこが鈍感の鈍感たる所以よ」
「いや、幾ら何でも少しは気付いてはいるだろう」
 均目さんも箸を置くのでありました。「ただ気付いていても、そう云う他者の抱く気持ちに配慮するだけの感受性とか篤実さとかが、恐らく先天的に欠けているんだろうな」
「つまり結構気にはしていながら、開き直っているのかな」
 頑治さんが云うと均目さんは皮肉な笑いをして首を横に振るのでありあました。
「いや、ほんの少し気付いてはいるけど、それ程大して気にはしていないんだろう」
(続)
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