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あなたのとりこ 341 [あなたのとりこ 12 創作]

 頑治さんは慌ててコップを両手で少し持ち上げるのでありました。
「若しこのタイミングで組合が出来ていなかったら、あたしや唐目君なんか今頃会社を馘首になっていたかも知れなかったわね」
 甲斐計子女史はそう云い終った時に丁度ビールも注ぎ終えるのでありました。
「そうかも知れませんねえ」
 頑治さんはなみなみとビールの注がれたコップを、両手で持った儘もう少しばかり持ち上げて見せて甲斐計子女史に礼意を表するのでありました。頑治さんが今し方考えた社長の了見と同じ事を、甲斐計子女史も考えたのでありましょう。そう云う危うさの崖縁に居た自分が、組合に救われたのだと云う認識が女史にはあるのでありましょう。
 いや、実際に救ったのは組合ではなく片久那制作部長なのではありましたが、しかしそう云う片久那制作部長の態度を誘発したのは、組合が出来たためだとは思うのでありましょうか。片久那制作部長に組合に入った方が良いと云われて、日比課長とは違ってそれに素直に従ったのも、組合を寄る辺と捉えたための決断に他ならないでありましょう。
 実際、賃金も従業員の中で一番上昇したし、ここは大いに組合に恩義を感じてこれ迄滅多に顔出ししなかった従業員同士の酒の席にも、こうして連なる気にもなったのでありましょうか。組合の中の会計と云う仕事もあっさり引き受けてくれた訳でもありますし。
「日比課長も甲斐さんを見倣って、組合に入った方が良いんじゃないですかね」
 均目さんが出雲さんの右向こうに居る日比課長に声を掛けるのでありました。急にそんな言葉を自分の方に向けられて、日比課長は少しどぎまぎするのでありました。
「あの社長の事だから、この先ずっと日比さんを篤く遇するとは限らないよ」
 これは袁満さんの言でありました。
「日比さんは組合に入る事に及び腰みたいだけど、それはどうしてなのか理由を聞いてみたいわね。組合活動が性に合わないと云う事かしら、それとも何か思想上の問題?」
 今度は那間裕子女史が日比課長に目を据えて問うのでありました。
「日比さんがガチガチの右翼だとは、俺には全く思えないけどねえ」
 袁満さんが那間裕子女史の言を受けて首を傾げて見せるのでありました。
「別に右翼じゃないよ。でも、左翼でもないけどね俺は」
 日比課長はぞんざいな口調で袁満さんの方を向いてそう応えるのでありました。「右翼だ左翼だなんてのは、俺にはどうでも良い問題だよ。そんなものに関心は無いし」
「そうだね。日比さんは色んなスケベな事が、何より興味あるものだよね」
 袁満さんがからかうのでありました。
「そうでもないよ」
 日比課長は同席している甲斐計子女史と那間裕子女史と云う女性陣の手前、袁満さんの言に対して取り繕うように否を発するのでありましたが、満更その指摘は当たっていない事もない、と云う一種のしおらしさと照れを竟々語調に滲ませて仕舞う辺りは、なかなか憎めないところではあると思って頑治さんは秘かに微笑むのでありました。
「日比さんはスケベな事にしか興味が無い訳?」
(続)
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