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あなたのとりこ 300 [あなたのとりこ 10 創作]

 結局、自分の大したところを社長に見せようとして土師尾営業部長は仕くじったと云う図でありますか。そんな図を読んだのかそうでないのか、社長はソファーから立ち上がって土師尾営業部長には一瞥も呉れず、片久那制作部長の方に目を遣るのでありました。
「僕は一週間後で別に構わないけど、回答書は間に合うのかな?」
「何とか間に合わせます」
 片久那制作部長は頷くのでありました。
「じゃあそう云う事で、今日はこれでお開きとしましょう」
 社長は横瀬氏に向かってニコやかに云うのでありました。要するに社長としては片久那制作部長に今次の解決を丸投げしていると云う事でありましょうか。

 横瀬氏と派江貫氏の二人と別れた後、神保町交差点から春日通りをやや水道橋方面に北上した辺りにある、組合関係の会議を行った後に最近時々使う居酒屋で、今日は寒いからと寄せ鍋をつついて日本酒の熱燗を酌み交わしながら、一同は少々くだけた、記念すべき第一回目の団体交渉の反省会とやらを執り行うのでありました。何となく全員が上機嫌であるのは、団交の席で出て来た回答書に一定の満足感を覚えた故でありましたか。
 内心、皆一様に、もっともっと渋いか、ひょっとしたらこちらの要求を一切無視したゼロ回答が示される事をリアルに恐れていたのでありましたか。
「去年の暮れのボーナス、じゃなかった一時金があんな調子だったから、とんでもなくひどい回答書が出て来るんじゃないかと冷や々々していたら、案外まともな回答が出てきてちょっと拍子抜けするくらいだったよなあ」
 袁満さんが傾けていた猪口を唇から離して云うのでありました。
「まさかまさかの組合が結成されたものだから、反省したんじゃないっスか」
 出雲さんが空いた袁満さんの猪口に徳利を向けるのでありました。
「反省なんかするタマかな、あの社長が」
 袁満さんは出雲さんの酌をする手付きを見ながら冷笑を浮かべるのでありました。
「反省はしなかったかも知れないけど、仕舞った、とは思ったんじゃないっスかね」
「まあそれは多分そうに違いないだろうけど」
「だからちょっと俺達のご機嫌を取り結ぼうと云う魂胆から、高飛車な感じが無い、寧ろ誠実なところを見せようとするような、あの回答書が出てきたんじゃないっスかね」
「誠実にしては如何せん、額がね、・・・」
 那間裕子女史が酒を頬に含んでから口を尖らすのでありましたが、その割には然程に苦々しそうな気色ではないように見受けられるのでありました。
「でも想像していたよりは、随分奮発したって印象だなあ」
 袁満さんが那間裕子女史の方に徳利を差し出すのでありました。
「逆に、何だかんだと会社の存亡の危機みたいに騒いでいたくせに、出そうと思えばあの額を出せるだけの余裕が未だあると云う事だよな」
 袁満さんがどこか皮肉っぽく云うのでありました。
(続)
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