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あなたのとりこ 285 [あなたのとりこ 10 創作]

 那間裕子女史が薄笑いを口の端に上せるのでありました。
「根が小心者だからね。それに残業代の話しになるとあの人が一番冷や汗ものだろうし、そんな非道をしている事が社長に知れるのは大弱りだろうし」
 均目さんが同じような薄笑いを浮かべるのでありました。「大体残業代は、五時を一時間経過した時から付く事になっているし、帰りが遅くなっても会社に戻らないで直帰した場合も普通は付かない事になっているんだけど、あの人はまるで特権のように、五時三十分でもその三十分を残業として平気で計上するし、直行直帰の場合も勝手に好きなだけ残業代を上乗せしていたからね。人には六時少し前になると早く帰れと急かすくせに、恥も外聞も無くそんな真似が良く出来るものだよ。片久那制作部長はしないと云うのにさ」
 これは均目さんが何かの話しの折に甲斐計子女史から聞き出した事でありました。抑々均目さんはその折、特に土師尾営業部長が残業代をどのようにカウントしているかとか云う質問をしたのではないのでありました。しかし甲斐計子女史は常日頃の土師尾営業部長の、残業代に限らず万事に於いて意地汚い遣り口が大いに不愉快だったので、自らその事を、実はこうだ、と云う感じで均目さんに不意に喋り出したと云う事でありました。
「残業代の算定にはちゃんとした決まりがある訳じゃない、と前に云っていたよね?」
 横瀬氏が均目さんに訊くのでありました。
「そうですね。就業規則にも明文化はされていませんね。でも仕来たりと云うのか、従業員は袁満さんが今云ったようなところを、不文律と弁えてちゃんと守っていますよ」
「だから今日出した要求書に、そこを踏まえて、全従業員に一律に適応される残業代の算定方法を明快にしろと云う一文を入れたんだし」
 那間裕子女史が均目さんの言を受けて後を続けるのでありました。「ま、実際は土師尾さんを狙い撃ちにしたと云う訳だけどね。その部分の読み上げと説明の時、土師尾さんが眉尻をピクッと動かしたから、本人も自分が標的だとすぐに判ったんじゃないの」
「土師尾営業部長も従業員である限り、一人だけ特権は認められないのは当たり前だ」
 袁満さんが義憤に耐えないと云った顔をするのでありました。
「片久那さんも土師尾さんの遣り口を苦々しく思っていたんだろうけど、何故か何も云わずに無関心を装っていたもんね。あたし達に対してその後ろめたさがあるからか、そこは敢えてきっぱり云ったわね、確かにそれは誰の目にも公正でなければならない、って」
 那間裕子女史が振り返るのでありました。
「あれは俺達に対する発言じゃなくて、暗に横の土師尾営業部長に向かって宣した心算の言葉だろうな。普段からこそこそと不埒な事をやっているから、ほうら云わんこっちゃない、ここで厳しく追及される破目になるんだって。土師尾営業部長もそう暗に詰られているのが判るから、内心ひどくたじろいで横で間抜け面で小さくなっていたんだ」
 均目さんが片久那制作部長の言と土師尾営業部長の心根を分析するのでありました。
「でもあの人はこそこそやっていると云うよりは、半ば堂々とやっていたぜ。片久那制作部長が何も云わないから、これは自分の特権として認められているんだと勝手に呑気に判断してさ。だから片久那制作部長にここでいきなり裏切られたって思っただろうな」
(続)
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