あなたのとりこ 238 [あなたのとりこ 8 創作]
「実際の話しとして、もう既に人事異動が発令されてしまったんだから、その片久那と云う名前の制作部長の動向は気にはなるにしろ、この確定した異動を、皆さんが受け入れる心算なのかどうかと云う点に話しを進めた方が良いんじゃないかな」
ずっと無言で控えめにしていた来見尾氏が、眼鏡の奥の目を瞬かせながらこれ迄の話しの流れに一段落を設けようとするのでありました。確かに確証も無くこの話しをこれ以上続けるのは無意味と云えば慎に無意味と云うものでありますか。
来見尾氏は鼻梁の上を少しずり落ちた眼鏡を、右手の人差し指を遣って元の位置に摺り戻しながら続けるのでありました。
「山尾さんはさっきも聞いたけど、この人事異動に概ね異存は無いんですね?」
「それは、不満はあれこれありますけど、一応受け入れる心算でいます」
「待遇が落ちると云う事も無いのかな?」
「今迄貰っていた主任手当もその儘付くと云う事だし、総額で減額される事は無いようですから、賃金面では額が減ると云う事はありませんね」
「残業手当なんかは?」
「それも認めると云う片久那制作部長の話しです」
「へえ、営業なのに残業手当が認められるんだ」
袁満さんが驚きの表情をするのでありました。「俺なんか全く付かないけど」
「俺も付きませんね」
袁満さんに顔を向けられた出雲さんが同調するのでありました。
「日比さんも付かないようだしね」
「ところがちらっと聞いたところに依ると、土師尾営業部長には付くようだよ」
山尾主任が結構あっさりとそう云う事を云うのでありました。
「え、そうなんですか?」
袁満さんがさっきよりもう少し驚きの度合いの強い表情をするのでありました。「一体誰に聞いたんですか、そんな事」
「片久那制作部長だよ。あの人事異動の話しがあった初出社の日に、二人で居酒屋に一端に行ったけど、異動した後の待遇面の話しになった時にちらっとそんな事を聞いたんだ。営業に移ると残業手当が付かないようだけどって水を向けたら、土師尾営業部長には付いているからとか云って、俺にも制作部に居た時と同じように付くように計らうとかね」
「それは酷いなあ」
袁満さんが大いに憤慨するのでありました。「他の営業の人間は誰も貰っていないと云うのに、臆面も無く自分だけ残業代を貰っているんだ、あの狡賢い業突く張り野郎は」
竟に誹謗中傷添えの野郎呼ばわりであります。おっとりした性格の袁満さんがこんなに不愉快そうに、舌打ちなんぞも添えて口汚く人を謗るのは珍しい事でありました。余程腹に据えかねたのでありましょう。それも尤もな事と頑治さんは思うのでありましたが。
「確かに酷いな。まるで自分一人やりたい放題、と云った印象だ」
(続)
ずっと無言で控えめにしていた来見尾氏が、眼鏡の奥の目を瞬かせながらこれ迄の話しの流れに一段落を設けようとするのでありました。確かに確証も無くこの話しをこれ以上続けるのは無意味と云えば慎に無意味と云うものでありますか。
来見尾氏は鼻梁の上を少しずり落ちた眼鏡を、右手の人差し指を遣って元の位置に摺り戻しながら続けるのでありました。
「山尾さんはさっきも聞いたけど、この人事異動に概ね異存は無いんですね?」
「それは、不満はあれこれありますけど、一応受け入れる心算でいます」
「待遇が落ちると云う事も無いのかな?」
「今迄貰っていた主任手当もその儘付くと云う事だし、総額で減額される事は無いようですから、賃金面では額が減ると云う事はありませんね」
「残業手当なんかは?」
「それも認めると云う片久那制作部長の話しです」
「へえ、営業なのに残業手当が認められるんだ」
袁満さんが驚きの表情をするのでありました。「俺なんか全く付かないけど」
「俺も付きませんね」
袁満さんに顔を向けられた出雲さんが同調するのでありました。
「日比さんも付かないようだしね」
「ところがちらっと聞いたところに依ると、土師尾営業部長には付くようだよ」
山尾主任が結構あっさりとそう云う事を云うのでありました。
「え、そうなんですか?」
袁満さんがさっきよりもう少し驚きの度合いの強い表情をするのでありました。「一体誰に聞いたんですか、そんな事」
「片久那制作部長だよ。あの人事異動の話しがあった初出社の日に、二人で居酒屋に一端に行ったけど、異動した後の待遇面の話しになった時にちらっとそんな事を聞いたんだ。営業に移ると残業手当が付かないようだけどって水を向けたら、土師尾営業部長には付いているからとか云って、俺にも制作部に居た時と同じように付くように計らうとかね」
「それは酷いなあ」
袁満さんが大いに憤慨するのでありました。「他の営業の人間は誰も貰っていないと云うのに、臆面も無く自分だけ残業代を貰っているんだ、あの狡賢い業突く張り野郎は」
竟に誹謗中傷添えの野郎呼ばわりであります。おっとりした性格の袁満さんがこんなに不愉快そうに、舌打ちなんぞも添えて口汚く人を謗るのは珍しい事でありました。余程腹に据えかねたのでありましょう。それも尤もな事と頑治さんは思うのでありましたが。
「確かに酷いな。まるで自分一人やりたい放題、と云った印象だ」
(続)