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あなたのとりこ 142 [あなたのとりこ 5 創作]

 横の均目さんが頑治さんの方に些か意外なような顔を向けて笑うのでありました。
「前に電話のアルバイトか何かしていたの?」
 ライトテーブルの那間裕子女史からもそんな言葉が掛かるのでありました。
「いや、そう云う訳ではありませんが」
 頑治さんはその、電話のアルバイト、と云うのがどのようなアルバイトなのか今一つ上手く想像出来ないのでありましたが、後ろの那間裕子女史の方を振り返って取り敢えずそう応えるのでありました。恐らくランダムに電話を掛けまくって何やらのセールスをする類の仕事をイメージしての言葉でありましょうか。まあ、良く判りませんけれど。
「この手の電話をするのは初めてなんだろうけど、相手との遣り取りに上擦ったところのない、至極慣れた感じの電話だったよなあ」
 均目さんが未だ頑治さんの方に顔を向けた儘感心するように頷くのでありました。「その調子でどんどん片付けてくれると俺も助かるね」
 そう持ち上げられたせいでは全くないのでありますが、頑治さんは早速次の電話に取り掛かるためにコピーに目を落とすのでありました。この間左隣りの山尾主任と奥の片久那制作部長の二人は何も口を出さないのでありました。
 山尾主任は頑治さんに笑顔を向けているのでありましたが、均目さんと那間裕子女史の言葉にそれ以上継ぎ足す言葉は無いと云った面持ちで、差し出るのを控えたと云うような様子でありました。一方の片久那制作部長の方はと云えば、頑治さんの電話っ振りなんぞには特段関心も無いと云った風情でありましたか。まあ、普段から口数の少ない仏頂面の御仁でありますから、無表情と云ってもそれは無愛想この上も無いような顔付きになるのでありますが、まあ、我関せずで自分の仕事に専念していると云った風でありました。
 頑治さんが次に電話を掛けたのは、東京西部から神奈川県にかけて込み入った幾つもの路線を有する鉄道会社でありました。代表番号から取り次がれて電話に出た広報課の社員はのっけから愛嬌の無い男でありましたが、頑治さんが社名を名乗ると、そんな会社なんぞは全く知らないと云った、全く以って冷え切った声で、態と戸惑いを籠めたような口調で、はあ、とだけ返すのでありました。前の電話とは大違いの様相であります。
「その贈答社さんとやらが、どんな要件で電話されたのですかね?」
 その男は端から何か相手を小馬鹿にしたような訊ね方をするのでありました。
「私共では今鉄道路線図を作成しておりまして、御社の全路線の駅間所要時間をお尋ねしようと電話させて頂いた次第です」
「全路線の駅間所要時間?」
 男は素っ頓狂な声を上げるのでありました。明らかにそう聞いた端から面倒臭がっている気持ちが込められた云い様でありましたか。
「そうです。全路線の全駅間所要時間です」
 頑治さんはめげずに如何にも丁寧でやや鈍感そうに、相手の苛々を全く感知していないような物腰で受け応えるのでありました。
「そんなの市販の時刻表で調べれば良いんじゃないの?」
(続)
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