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あなたのとりこ 129 [あなたのとりこ 5 創作]

 那間裕子女史はジントニックを一口、と云っても殆どグラス半分くらいの量を口中に銜んで、やや頬を膨らませてからそれを二口に分けて飲下するのでありました。
「でもその話をする時には何時も、悔しそうな口振りで話すじゃないか」
「まあ、人は人よ。それにあたしだって将来一廉の編集者になって見せるわ」
 なかなか勝気な、プライドの高い女性のようであります。「だから要するに唐目君、将来性の無いウチの会社は適当に見限って、もっとやり甲斐のある仕事を探したほうがいいかも知れないわよ。入社し立ての唐目君にこう云う事を云うのは何だけど」
「那間さんは近い将来にウチの会社を辞める心算なんですか?」
「ま、そうね。そんなに長く居る心算は無いわね。目的の、地図編集とかグラビアやイラストの目利きのスキルがある程度習得出来たと思ったら、他の会社を探すわ。まあ、フリーでも構わないし。ウチの会社に思い入れなんか別に無いもの」
 那間裕子女史はクールにそう云って、グラスに未だ半分程残っていたジントニックを一気に飲み干すのでありました。あんまり目立たないながら舌骨が二回上下したところを見ると、またこれも二口に分けて食道を通過させたのでありましょう。
「会社への思い入れと云う点では、俺もそんなに無いかな」
 均目さんはグラスを空けて、それから今度はウィスキーのオンザロックではなく那間裕子女史と同じジントニックを注文するのでありました。
「そうすると均目君も別の会社に編集者として再就職する心算なのかな?」
 頑治さんが訊くと均目さんは首を傾げて見せるのでありました。
「いや俺は、別に編集者に拘ってはいないよ。まあ、希望を云うなら、少ない労働で多くの実入りがあるし仕事なら何だって構わないよ」
「そんな都合の好い仕事なんて今のご時世、何処にも無いわよ」
 那間裕子女史は鼻で笑うのでありました。「それより何より、均目君はその細っこい体を鍛え直して、どんな労働にも耐えられるような頑健な体を創る方が先ね」
 那間裕子女史はそう云ってから徐に頑治さんの方を見るのでありました。「唐目君は結構良い体をしているけど、何かスポーツをやっているの?」
「いやあ、今は何も。高校生の時にラグビーをやっていましたが、大学の四年間は特に運動らしい運動はしませんでしたねえ」
「でも。腕なんか均目君の二倍の太さがありそうね」
 那間裕子女史が手を延ばして頑治さんの上腕に無遠慮に触るのでありました。それから両手を使って太さを測って見たり、上腕二頭筋や肩の三角筋を摘んだりするのでありました。頑治さんは夕美さんにすら態々そんな事をされた記憶が無いので、少しドギマギするのでありましたが敢えて腕を引っこめる迄はしないのでありました。
 均目さんの方をたじろぎながらも窺うと、均目さんは頑治さんと那間裕子女史のじゃれ合いのような光景をすっかり無視して、来たばかりのジントニックをゆるりと傾けているのでありました。そうはしているけれどひょっとしたら内心は面白くないのではないかと頑治さんは勘繰るのでありましたが、特にそう云う風情は見えないのでありました。
(続)
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