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あなたのとりこ 687 [あなたのとりこ 23 創作]

 那間裕子女史は持っていたバッグから缶ビールを二本取り出して、頑治さんのすぐ目の前に差し上げて見せるのでありました。二本と云う事は、一本は頑治さんの分でありましょうが、後の一本は自分のものに違いないでありましょう。
「まあ、上ってください」
 頑治さんは缶ビールを受け取ってから、体を斜にして女史の通る空間を空けて那間裕子女史を部屋の中に通すのでありました。
「突然来て、唐目君が何処かに出掛けていたらどうしようと思っていたのよ」
「若し出掛けていたら?」
「その時は缶ビールを飲みながら、上野でも散歩すれば良いかと考えていたわ」
「ああ、成程」
「この前は寝て仕舞って中の様子が良く判らなかったけど、本ばかりで余計なものがまるでない、見事に殺風景な部屋ね」
 座卓代わりの炬燵を前に座った那間裕子女史は、頭を回して部屋の中をグルっと眺め回しながら云うのでありました。
「あら、でも、この部屋にちょっと似つかわしくないものがあるわ」
 那間裕子女史は立ち上がって、本棚の上に置いてあるネコのぬいぐるみを手にするのでありました。「何これ。唐目君の趣味?」
「いやあ、別に好き好んでそんなものをそこに置いている訳ではないんですが。・・・」
 頑治さんは少しもじもじするのでありました。
「彼女さんに貰ったの?」
「貰ったと云うのか、置いていったと云うのか。・・・」
「その彼女さんが置いていったものを、律義にこうしてここに飾っている訳?」
「飾っていると云うのか、目的があってそこに据え付けられていると云うのか」
「据え付けられている?」
 那間裕子女史は怪訝な事を云う頑治さんを上目に見ながら、やけにゆるりとした手付きでぬいぐるみを本棚の元の位置に戻すのでありました。「何かしら、事情がある訳ね」
 那間裕子女史はその後もう、そのネコのぬいぐるみをどうして頑治さんが所持しているのか、それにそこに何故置いてあるかと云う経緯には興味がなくなったように、ぬいぐるみを置いたすぐ近くの棚から一冊の本を引き摺り出すのでありました。
「伊東静雄の詩集ね」
 那間裕子女史はペラペラと頁をめくるのでありました。この本がどうしてここに在るのかとか、その理由や経緯を訊かれたら、これまた何やら面倒な説明になると頑治さんは考えるのでありましたが、まあ、那間裕子女史はその本の所在理由にネコのぬいぐるみ程不自然な感じを抱かなかったようで、別にその辺りは探りを入れてこないのでありました。女史はその本を本棚の元の所に戻すと、また座卓の前に座るのでありました。
「ええと、今日いらしたのは、つまりどう云う目的ですかね?」
 頑治さんは貰った缶ビールを一口飲んだ後に訊くのでありました。
(続)
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