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あなたのとりこ 685 [あなたのとりこ 23 創作]

 とは云っても先ずは会社に来ると云うだけで、暫く自分のデスクの椅子を温めた後は営業回りと称して早々に事務所を出て行くのでありました。まあ、会社に居ても彼の人のする仕事はないでありましょうし、居て貰っても返って他の従業員にとっては迷惑と云う事でもありますか。慎に珍妙なる存在感の御仁と云えるでありましょう。
 土師尾常務が居なくなった事務所の営業部スペースには、勿論日比課長も殆どの時間外回りに出ているのでありましたから、甲斐計子女史と残務整理をする袁満さんが如何にも気まずそうな雰囲気の中に残されるのでありました。袁満さんも次第にその気まずさに耐えかねて、下の倉庫に下りて来る機会が増えると云うところであります。
「前に全体会議で唐目君に、せっかく俺一人でも、何とか地方出張営業の仕事をこの先回していく術を教示して貰ったのに、結局こう云う結果になってそれも実現出来なくなって仕舞って、俺としては何だか唐目君に悪いような気がしているんだよ」
 袁満さんは用もないのに倉庫に居る事に気を遣って、屡お愛想の缶コーヒーを差し入れてくれるのでありましたが、それを手渡す時にそんな事を云うのでありました。
「いやあ、そんな事はありませんよ。事がこうなった以上致し方なしですし、袁満さんが負担に思う必要は何もありませんから」
「でも、仕方が無い事だとしても、俺としては唐目君の策は、屹度上手くいくような気がしていたからなあ。何だかここでご破算にするのは惜しいような気もするし」
「しかしあれは結局、急場の一策、と云う事以上ではないし、だから確実に上手くいくとも限りませんしね。今になってこんな事を云うのはちょっと気が引けますけど」
「でも真っ暗闇の中で、ポッと灯りが燈ったような気がしたんだよ、本当に」
「そう云って貰えるだけでも嬉しいですよ」
 頑治さんは苦笑いをして頭を掻くのでありました。
「ところで屹度会社は早晩解散になるだろうと云うのに、日比さんと甲斐さんはそれでも未練がましくこの会社にしがみつきたいのかねえ」
 そう云った後、袁満さんは自分の缶コーヒーを飲み干すのでありました。
「日比課長と甲斐さんの思いをちゃんと訊き質してはいないから、俺としては何とも云えませんけど、でも日比課長も甲斐さんも俺達よりずっと古い、地名総覧社時代からの社員ですから、会社に対する思い入れも俺達とは全然違うでしょうね」
「しかし近々会社がなくなるのは、先ず間違いないと云うのに」
「お二人は未だ、その事にリアリティーを感じられないのかも知れませんね」
「事ここに到っているんだから、それは鈍感にも程があると云うものじゃないかな」
 袁満さんは缶の中身が空になったのを態々確かめるように、それを耳元で二三度振ってみて、中で液体が騒ぐ音がしないかどうか試すのでありました。
「土師尾常務は論外だとしても、最終的には社長が、何とかしてくれるかも知れないと、期待しているのかも知れませんね」
「あの社長にそんな事を期待しても無意味だろうけど」
 袁満さんが舌打ちの後に溜息を吐くのでありました。
(続)
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