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あなたのとりこ 659 [あなたのとりこ 22 創作]

「例に依って得意先に直行だそうです」
 袁満さんは先程の均目さん同様皮肉な笑いを片頬に浮かべて見せるのでありました。
「前の団交の時も会議の時にもそう云う話しは聞いたような気がするが、土師尾君は屡、得意先に直行する場合があるのかね?」
「屡、と云うのか、ほぼ毎日、と云うのか」
 袁満さんはそこで眉根を寄せるのでありました。
「そんなに朝から仕事熱心なのかね、土師尾君は?」
「さあ、どうでしょうかね」
 袁満さんは聞えよがしに鼻を鳴らすのでありました。社長としても素で先の質問をしたのではなく、多少の疑いの気持ちを込めてそう訊き質したのでありましょう。
「そんなに熱心に仕事している割に、お得意さんから発注の電話がちっともありませんけどね。まあ、熱心に仕事をしている振り、と云った方が良いかしらね」
 これは那間裕子女史が矢張り片頬に笑みを浮かべて云う科白でありました。
「つまり偽装だと那間君は疑っている訳だね?」
「さあ、それは社長が直接土師尾さんにお聞きになれば良いでしょう」
 那間裕子女史はそっぽを向きながらつれなく云うのでありました。
「率直に言って貰いたいんだが、土師尾君は制作の知識も均目君や那間君ではてんで頼りないから、自分が何もかも指示しているし、紙の発注や印刷の細かい指示や製本の事にしても、それに商品作りのセンスにしても、何から何まで自分が助けてやらなければならないと常々私に零しているが、実際のところはどうなのかね?」
「ほう、とことん見縊られたものですね、自分も那間さんも」
 均目さんは頬に余裕の笑いは浮かべているものの、その頬がやや引き攣っているのでありました。那間裕子女史も少し大きめの舌打ちの音を立てるのでありました。
「じゃあ試しに、上質紙とか色上質紙とか、コート紙とかマットコート紙とか紙の種類の事や発注の仕方の形式、それに、一連、と云う言葉の意味とか、キロ単価の事なんかを土師尾さんに訊いてみれば良いんじゃないですか? 屹度簡単に云える筈ですよ」
 那間裕子女史は社長の目を見据えるのでありました。
「幾ら何でもそのくらいの知識は持っているだろう。何せ土師尾君は、始めは地図や地名総覧の編集要員として入社してきたんだから」
「まあ、すらすら云うか、あたふたするか、それとも別の話しをしながらはぐらかしたり誤魔化そうとしたりするか、ちょっと見ものですがね」
 均目さんがその偽物振りはとっくに見抜いている、と云うような云い草をするのでありました。「社長の専門の紙の事もそうですが、色の掛け合わせの事とか、それに中学校で習う程度の基本的な地図の知識とか、或いは製本の事とか、大凡編集や製作に関わる事を、あやふやな云い草を許さないでどうぞ土師尾常務にじっくり訊いてみてください。それであの人がとんでもないインチキ野郎だと云う事が、社長にも判るでしょうから」
 均目さんは云った後一つ頷くのでありました。
(続)
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