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あなたのとりこ 612 [あなたのとりこ 21 創作]

「要するに本当は出来もしない事を社長に普段から臆面も無く嘯いているから、そんな云い逃れめいた事を今口にしているんでしょう」
 均目さんが憫笑を湛えて土師尾常務を見るのでありました。
「無礼な事を云わないで貰いたいな。僕だって最初は編集要員としてこの会社に入ったんだから、今の制作部で遣っている仕事程度ならすぐにでも熟せるよ」
「ほう、それはそれは」
 均目さんは如何にも冗談めかして感心して見せるのでありました。「五十万分の一地図を百三十パーセント拡大したらその縮尺が幾らに変更されるのか、そのくらいのその辺の小学生でも遣れる計算が出来ないものだから、忙しい俺に遣らせようとしたくせに」
「そんな計算くらい僕でも出来るよ、馬鹿にして貰っては困る。でもあの時は仕事の責任領分として均目君がやるべき仕事だから、均目君に任せようとした迄だ」
「何ですか、その屁みたいな理由は?」
 均目さんが吹き出すのでありました。「若しその理由がまかり間違って本当なら、それは救いようのないゴリゴリの形式主義とか教条主義云うものだな。いやそんな事を云うと形式主義者や教条主義者に対して申し訳無いと云うくらいだ。まあ、実際は本当にその小学校で習う程度の計算も自分じゃ出来ないから、と云うのが正解なんだろうけど」
「確かに、理由にもならない理由だと私も思うよ、土師尾君の今のは」
 社長も呆れ顔で横の土師尾常務を見るのでありました。よくもそんな事を口にしてそれが立派な理由として通ると考えたものだなと、頑治さんも内心、軽蔑を通り越してそのスットコドッコイ振りに感心すらするのでありました。
 ところで、均目さんが土師尾常務の馬鹿げた云い草の揚げ足を取って、それを揶揄したりからかったりする時には屹度、普段の那間裕子女史ならここぞとばかりにおいそれと同調して痛烈な皮肉の一つも一緒になってものしてくる筈であります。しかしこの場合の女史は、沈痛な面持ちをして均目さんと土師尾常務の遣り取りを傍観しているのみでありました。恐らく均目さんが居なくなった後の、ひょっとしたら自分にのしかかって来るであろう厄介事に思いを馳せていて、そんな気分には到底なれないのでありましょう。

「本気で、均目君は会社を辞める心算なのかな?」
 社長が均目さんにもう一度聞くのでありました。
「はい、その心算です」
 均目さんはきっぱり言うのでありました。
「会社を辞めて、その後どうする気なんだ?」
「それはここで云う必要はないんじゃないですか、自分個人の事なんですから」
 均目さんは鮸膠も無い云い方をするのでありました。
「それはそうだが、・・・」
「社長、ここで均目君に辞めて貰ったら、寧ろ願ってもない事じゃないですか」
 土師尾常務が社長の顰め面に言葉を投げるのでありました。
(続)
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