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あなたのとりこ 592 [あなたのとりこ 20 創作]

 今迄見縊っていた袁満さんのこのただならぬ剣幕に、土師尾常務は思わず怯んで仕舞うのでありました。この辺りは、体裁は大いに気にしていながら結局のところ全く腹の座ったところのない小心の輩は、こうしてすぐに馬脚を現すと云うものでありますか。
「人が我慢して黙っていればそれを良い事に調子に乗りやがって、そうやって小馬鹿にするようなものの云い方は好い加減にして貰いたいものだよなあ」
 袁満さんがそう捲し立てる間、土師尾常務は口を半開きにして怯みのために瞬きも忘れて、喧嘩腰の袁満さんに目を釘付けているだけでありました。まあ、袁満さんのこの日頃からは到底考えられないような変貌ぶりに驚いたのは、土師尾常務だけではなく頑治さんを始めとするこの場に居るほぼ総ての者共、とも云えるでありましょうか。
 袁満さんのこの短い反撃の言葉が終わると呆気に取られた土師尾常務も他の者共も、当面発するべき言葉を見付けられないのでありました。重苦しいような遣る瀬無いような、はたまた尻がモゾモゾするような沈黙が応接スペース中に重く泥むのでありました。
 その重苦しさてえものが袁満さん自身も大いに意外であったようでありました。袁満さんは何となくばつが悪そうにこそこそと、あっけらかんとは到底云えない身ごなしで着席するのでありました。土師尾常務の口は未だ半開きの儘でありました。
「袁満君を馬鹿にする心算で云ったんではなく、売り言葉に買い言葉で、土師尾君も竟心にもない不穏当な言葉を遣って仕舞ったんだと思うよ」
 社長が袁満さんを宥め且つ、場を取り持つように云うのでありました。
「最初に無神経な言葉を売ったのは袁満君じゃなくて土師尾さんの方だけどね」
 那間裕子女史が皮肉な笑い顔をして社長の言葉を訂正して見せるのでありました。
「まあ、あんまり罵り合いみたいなことはしないで、お互いに冷静に話しをしようと云う事だよ、私が云わんとしているのは」
「罵り合いをしているんじゃなくて、土師尾さんが先ず日比さんを、それからまるで事の序と云った風に次に袁満君を一方的に罵っているだけじゃないかしら」
「そんな心算は無いよ!」
 ようやく半開きの口を閉じ得た土師尾常務が、眼鏡の奥の目を何度も瞬かせながら身を乗り出そうとするのでありました。その言葉を制するように社長が掌を下にした自らの左手を大仰な仕草で、土師尾常務の顔の前で何度か上下に振って見せるのでありました。
「まあまあ、兎も角そのくらいにして」
 社長は土師尾常務と那間裕子女史、それに袁満さんを窘めるように見遣った後で徐に重苦しい口調で続けるのでありました。「今ここで土師尾君と日比君の営業成績の比較をしたいのでもなく、袁満君の仕事態度や、仕事の進捗状況に対してどうこう云いたいのでもない。それより話しを会計報告書の方に戻すと、一昨年より去年、去年より今年と、売り上げがかなり下降しているし、特に今年は去年に比べて急激な程の落ち込みと云える」
「まあ、この数字を信用すれば、確かに」
 日比課長がそう云いながら数度頷くのでありました。
「そうだろう。日比君も判るだろう、ウチの会社が今どんな状況にあるのか」
(続)
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