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あなたのとりこ 589 [あなたのとりこ 20 創作]

 社長はそう云って袁満さんをじっと見つめるのでありました。袁満さんが手に取った紙の上辺の一角が細かく震えているのは、自分を見る社長の視線に袁満さんが緊張を覚えたからでありましょう。成程社長の眼光には、どうだこれを見ても未だ四の五のお気楽な御託を並べられるのか、と云った威迫が濃く込められているのでありました。

 袁満さんはつるっと紙面に目を通した後、まるでこの持て余すべき社長の強い視線ごとすっかり預けて仕舞うように、それを均目さんに渡すのでありました。均目さんも袁満さんよりは少し長めに目を通して、今度はそれを日比課長に回すのでありました。
 日比課長の次は那間裕子女史に、その後は甲斐計子女史と一渡り従業員が回覧した最後に、頑治さんがそれを手にするのでありました。その間社長は、書類を手にした者に順次むやみに挑むような視線を送り、無言の威圧を与え続けようとするのでありました。
 この書類てえものは、この全体会議が開かれる前月迄の三年間の月毎の売り上げ比較表なのでありました。それにその三年間の自社製品と他社製品の売り上げ比率の比較表も付してあるのでありました。売り上げ比較の後に、敢えてのように付されたこの自社製品と他社製品の比率比較は、つまり利益率の低い他社製品の比率が次第に多くなっているところを開示する事に依って、売り上げと同時に利益も急激に薄くなっている辺りを見せようと云う魂胆からであろうと、頑治さんは先ずここでは推察してみるのでありました。
「それが偽らざる会社の惨状と云う事ですよ」
 社長はこれでまんまと社員の意気地を挫き得たと云った風に、見様に依ってはさも得意気に胸を反らすのでありました。頑治さんは、偽らざる会社の惨状、への深刻な危惧よりも社員を今見せたペーパー一枚で決定的な迄にとことん遣り込めた心算になって得意になっている社長の無邪気を、まあ、半分程の軽蔑を以って秘かに笑うのでありました。
「要するに、これ程のっぴきならないところに会社の現状はあるんだから、ガタガタ待遇とかに文句をつけないで、この際、先の団交で妥結した諸事も綺麗さっぱり御破算にして、不利益や各人への差別的待遇も甘んじて蒙れ、と云う事をおっしゃりたいのですね」
 均目さんが、こんな紙一枚なんぞで以ってへこんでなんかいられるかと云うところを見せようとして、不遜な笑いを湛えた目を社長向けるのでありました。
「こんな数字の羅列は、作ろうと思えば幾らでも作れるだろうし」
 那間裕子女史も均目さんに倣って口の端に笑いを湛えるのでありました。この辺の息の合ったコンビネーションなんと云うのは、ひょっとしたら先の頑治さんを巻き込んでのゴタゴタをその後二人で何とか乗り越えた、と云う事の左証であろうかと頑治さんは全く関係の無い事を不意にぼんやり考えて仕舞うのでありました。
「何だその云い草は!」
 ここで土師尾常務がしゃしゃり出るのでありました。「折角社長が君達に会社の現状を理解して貰おうと誠実に思って、無理にも会計事務所に頼んでこの書類を作って貰ったと云うのに、その労を嘲笑うとはどういう了見なんだ君達は!」
 これはもう大変な剣幕であります。
(続)
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