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あなたのとりこ 586 [あなたのとりこ 20 創作]

「この前問題になった那間君の件だけど、今日は本人も居る事だし、云うべき事をちゃんと僕の方から云わせて貰おうと思う」
 土師尾常務は如何にも深刻ぶって重々しく口を開くのでありました。「那間君はどうして毎朝、前に居た片久那君からも屡注意を受けながら、今も相変わらず遅刻を繰り返しているんだ? どうしても朝定時に会社に出て来られない事情でもあるのか?」
 面と向かってそう訊かれても、何と応えて良いのかまごまごするしかないでありましょうが、その当惑を隠して、那間裕子女史は土師尾常務から目を背けて、取りように依っては嘗めたような笑いを片頬に浮かべて返事するのでありました。
「朝は苦手なんですよ」
「苦手だったら遅刻しても構わないと云う訳か?」
「別にそうは云っていませんけど」
 那間裕子女史は呟くように云うのでありましたが、どこか太々しそうでありました。
「そう云っているじゃないか!」
 土師尾常務は女史のこの、自分に対する畏怖の欠片も感じられない云い草に喧嘩腰になるのでありました。小馬鹿にされていると感じたのでありましょうが、まあ、那間裕子女史としても小馬鹿にしているのでありましょう。しかしそこは本心をグッと抑えて体裁だけでも地位の上下に対する弁えは示しておいた方がよかろうと云うものであります。
「遅刻するのはあたしの落度だってことは承知しています。どうも済みません。今後は気を付けて始業時間に間に合うように出社しますよ」
 那間裕子女史は浅く頭を下げて見せるのでありましたが、この態度てえものも、畏れ入っていると云うよりはどこかふざけていると云った感じでありましたか。まあ、咎められて素直に畏れ入るよりは寧ろ、ムラムラと対抗心の方を掻き立てられて仕舞うと云う女史のある種仕方のない性格からだと云うところでもありましょうか。
「そんな事を云うくせに、実は全然反省してなんかいないようだな」
 土師尾常務は那間裕子女史を睨み付けるのでありましたが、睨まれた那間裕子女史は全く以って怯む様子もなく、寧ろ自分以上の敵意満々の視線を投げ返してくるのはちょっと読み違えたと云った按配だったようで、土師尾常務の方がうっかり先に視線を外して仕舞うのでありました。ここら辺りが土師尾常務の生来の弱気の表れでありましょうか。
「那間さんは自分の落度を認めて、今後は態度を改めると殊勝に云っているんですから、今日のところはその件はもう良いじゃないですか」
 袁満さんが土師尾常務の弱気を見透かしてか、間に入ろうとするのでありました。
「入社以来今日まで続いてきた遅刻が、そう簡単に改まるとは思えないね」
 土師尾常務は袁満さんを睨むのでありました。強気に於いて那間裕子女史には叶わないけれど袁満さんには些かも負けないと思っているのでありましょう。それに確かに、その日の朝も那間裕子女史は遅刻をしていたのでありました。この辺りが那間裕子女史の隙でありましょうが、逆に土師尾常務なんぞには隙を見せようがどうしようが別に無頓着と云うのなら、これはもう土師尾常務にしたら立場も体面もないと云うものであります。
(続)
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