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あなたのとりこ 574 [あなたのとりこ 20 創作]

「それはそうだけど。・・・何だか冷たいよなあ、そう云うのは」
「袁満さんは那間さんに、会社を辞めないでくれと即座に云ったんですか?」
 頑治さんが訊くと袁満さんの一瞬口籠もる様子が伝わってくるのでありました。
「いや、ショックが大きくてそれは云えなかったけど、うっかりして」
「うっかりしなくとも、こういう云い方は申し訳無いですけど、那間さんの機嫌を損ねたくないから、結局袁満さんは弱気から云えなかったんじゃないですかね」
「まあ、実はそうかな」
 袁満さんの力なく頷く気配が受話器から伝わるのでありました。
「いやまあ、俺も多分同様だろうから袁満さんの弱気をどうこう云う心算は更々ないんですが、例え周りが止めたとしても、結局那間さんの意志次第だと思うんですよ」
「それはそうには違いないけど、でもしかし、・・・」
「ま、ここであれこれ那間さんの退職と直接関係の無い事で云い争っていても始まらないから、明日にでも俺も那間さんの真意を直接聞いてみますよ。ひょっとしたら酔った勢いで袁満さんに会社を辞めると断言してはみたけど、一晩寝て、朝起きたら少し冷静になっていて、ちょっと気持ちが変わっている、なんて事もない事もないでしょうから」
「そうだね。唐目君の方からちゃんと聞いてみてくれると有難い。確かに一晩寝ると気持ちが整理されて、迂闊に辞めると云った事を悔いているかも知れないし」
 袁満さんは那間裕子女史の気持ちの変化に対する切なる願望を述べるのでありました。
「まあ、那間さんが朝一番で土師尾常務に辞表を出さない事を祈ります」
「そうだね。そうなったらもう手遅れだしね」
「ま、大丈夫でしょう。今夜痛飲したようですから、何時にも況して明日は朝寝して遅刻する確率が非常に高いと思いますから。それに土師尾常務にしたって恐らく明日の朝も、例に漏れず得意先に直行すると云う電話が入るに違いありませんからね」
 頑治さんの軽い冗談に袁満さんは力無く笑うのでありました。

 電話を架台に置くと頑治さんはその日の、と云うか、もう夜中の十二時を回っているから前の日の夜の、那間裕子女史の新宿の洋風居酒屋での様子を思い浮かべてみるのでありました。見た目には土師尾常務が自分への中傷を袁満さん相手に並べ立てたという事を聞いても、それで激昂した様子とか思い詰めたような感じは窺えなかったのでありました。敢えて内心の動揺を只管隠そうとしているような風でも無かったのでありました。
 頑治さんの印象としては、那間裕子女史は土師尾常務の罵詈雑言なんぞは全く以って意には介さない、と云った余裕すら窺えたのでありました。元々土師尾常務その人を大した人物とは思ってはおらず、歯牙にかけるにも値しない小者だと評するような云い草も、普段から事あるにつけ頑治さんは聞かされてもいたのでありましたし。
 しかし内心は腸が煮えくり返っていたのでありますか。それに土師尾常務が袁満さんに自分の悪口を縷々並べて見せるのは、後日自分を攻撃する布石であろうとは想像が付くから、それなら先手を打ってやろうと云う一種の自棄を起こしたと云う事でありますか。
(続)
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