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あなたのとりこ 494 [あなたのとりこ 17 創作]

「じゃあプリンスホテルの真ん前迄乗せていきます」
「それは助かるなあ」
「その喫茶店に何の用事で行くんですか?」
 今度は頑治さんが小首を傾げて見せるのでありました。
「ちょっと前迄出張営業していた時のお得意さんで、信州の蓼科と美ヶ原と、それから松本の浅間温泉でホテルとかお土産屋とかをやっている会社の社長が、今丁度東京に出て来ていて、その人に逢いに行くんだよ。あの辺の営業回りの代理店みたいな事を引き受けて貰えるかも知れないんで、その打診も含めて先方指定の新宿の喫茶店に出向くんだ」
「へえ、そうですか。そう云う事なら代理店を引き受けてもらえると良いですね。でもそう云う大事な話しなら、それなりの格式のある料理屋とかでちょっとした接待みたいな事をして、ヨイショの一つでも云わなくて良いんですか?」
「そう思ったんだけど、先方が色々東京での予定満載みたいで、ようやく今日の午後に一時間程逢ってくれると云うアポが取れたんだよ」
「じゃあ、料理屋とヨイショの一つは首尾好く話しが纏まった後、と云う事ですかね」
「そうトントン拍子に上手くいくなら云う事無いけどね」
 袁満さんは何となく自信無さそうにもじもじと笑むのでありました。
「何時ですか逢うのは?」
「二時半と云う事だけどね」
「それなら安全を考えてそろそろ出発した方が良いですね」
「まあ、そんなにバタバタしなくても充分に間に合うと思うけど」
「それじゃあ、原稿類を取って来ますよ」
 頑治さんはそう云って制作部スペースに戻ると机の上に既に用意していた、持って行くべき荷物を両手に抱えて、腕組みして自席の椅子にふんぞり返るような格好で本を読んでいた片久那制作部長に声をかけるのでありました。
「それじゃあ荒井デザイン事務所に行ってきます」
 頑治さんのその声を聴いて片久那制作部長は、顔の前に掲げた本の上辺越しに頑治さんを見て無表情に小さく頷くのでありました。これも自席で本を読んでいた均目さんは全くの無視と云った様子でありましたが、先程の中華料理屋での頑治さんとの一件にどこか拘泥があって、態と余所々々しく装っている、と云ったところでありましたか。

 助手席に座っている袁満さんは久々に会社から外に出たのが嬉しそうで、解放感に満ちた表情をしているのでありました。偶に、と云うのか、珍しく出先から直帰しないで夕方会社に戻って来た時とか、天気の悪い日で外に出るのが面倒な場合とか、結構すぐに推察の付くような仕様も無い理由で会社内に居る土師尾常務と、会社の中で退屈なデスクワークをしながら顔を突き合わせているのを、厄介に感じているからでありましょう。
「どう云うものかこの頃、甲斐さんと昼飯を一緒に食う機会が多いんだよ」
 袁満さんは運転しない退屈の解消のためか、そう話し掛けて来るのでありました。
(続)
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