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あなたのとりこ 490 [あなたのとりこ 17 創作]

 頑治さんは思わせぶりに片頬で笑うのでありました。
「那間さんじゃないけど将来に亘って編集者で遣っていく心算なら、今の贈答社で編集者だか地図類や図版の修正屋だかお土産品の工作屋だか、何だか判らない中途半端な仕事をしながら燻っているより、片久那制作部長の下にいる方が正解だと思うけどなあ。片久那制作部長が居なくなったら、贈答社は益々出版とか編集の仕事と縁遠くなりそうだし」
 こう云う均目さんは、片久那制作部長の誘いにもう殆ど乗っかる気になっているようであります。均目さんにとっては願ってもない誘いと云うところでありますか。
「しかし片久那制作部長は、辞めていく自分の後釜として、均目君にあれこれ自分のこれ迄遣っていた仕事を引き継いだんじゃなかったのかな?」
「その心算だったんだろうけど、贈答社を辞めた後の自分の身の振り方を色々検討していく内に、とても自分一人では手に余りそうな具合になって来たので、そうなると気心も知れていて、力加減も大体判っている俺や唐目君を誘おうと考えたんだろうな」
「俺としてはその辺に、ちょっと引っ掛かりがあるんだよ」
 頑治さんはここで味噌汁を一口啜ってから続けるのでありました。「少し自分勝手と云うのか、ちゃっかりし過ぎやしないかってね。もっと酷く云えば、贈答社に後ろ足で砂をかけて去っていくような風じゃないのかってね。日頃、義理人情や筋やけじめに対してストイックな体面をとっている人にしては、去り方が何となく矛盾していると云うのか」
「だって、今迄散々社長や土師尾常務の酷い遣り口に我慢に我慢を重ねていたんだから、若し去り際に酷いところがあっても、それでお相子と云うところじゃないかな」
「いや、どんなに我慢していたとしても、自分も社長や土師尾常務と同類の真似をして去っていくと云うのでは、全く片久那制作部長らしくない去り方じゃないかな」
「まあそう云われればそんな感じもするけど。・・・」
 均目さんは餃子を口に放り込もうとしていた動作を直前で止めるのでありました。
「俺は、片久那制作部長に続いて抜け駆けのように自分も辞めると皆に云うのは、あっけたかんと小狡い裏切りをするようで大いに抵抗がある」
 頑治さんは餃子を口に入れるのでありました。
「それもそうかも知れない。唐目君の云う事は正論ではあるかな」
 均目さんは餃子を皿に戻して味噌汁を啜るのでありました。「でも将来の事を考えると、ここは好機と考えるのは、俺はそんなに悪い事ではないように思うよ」
 ここで頑治さんも味噌汁を一口喉に流し入れるのでありましたが、思いも依らず和布の小さな欠片が唇に煩わしく張りついてきたので、それを舌で拭い取る手間で、発語する自然なタイミングを何となく外して仕舞うのでありました。
「でもまあ抜け駆けは、鎌倉時代とか戦国時代ならいざ知らず、今の風としては無念で恥ずべき行為の範疇に分類されるんじゃないかな」
 その科白の何となく頓馬な感じは、タイミングが狂ったせいばかりではないなと、頑治さんは自分の弁舌の拙さにうんざりするのでありました。
「でも、堅苦しい倫理感とか一本気で将来の可能性を棒に振るのもどうかと思うけど」
(続)
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