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あなたのとりこ 488 [あなたのとりこ 17 創作]

「ええ、済みました」
 その頑治さんの返事を聞いて一つ頷いてから、片久那制作部長は長女さんと次女さんの顔を交互に見るのでありました。
「じゃあ、これ迄色々お世話になりました。どうぞこれからもお元気で」
「こちらこそお世話になりました、片久那さんの方こそお元気で」
 長女さんがお辞儀するのでありました。
「会社を辞めても、若し池袋の方に来るような事があったら、まあ別に何も用はないだろうけどここにも立ち寄って下さいよ。お茶の一杯くらいは何時でもご馳走しますよ」
 次女さんも頭を下げるのでありました。
「有難うございます」
 片久那制作部長も次女さんのありきたりな惜別の言葉に一礼してから、頑治さんに顎で行くぞと云う無言の合図を送るのでありました。頑治さんは頷いて、見送る長女さんと次女さんに挨拶してから車の運転席側のドアの取っ手に手を掛けるのでありました。
 帰りの車の中では片久那制作部長は終始無言でありました。行きがけに自分の始める新しい仕事に頑治さんを誘ってみたけど、頑治さんが期待した程捗々しい返事をしなかったものだから、帰路は打って変わってとことんすげなくダンマリを決め込んでいると云う事でありましょうか。若しそうなら袁満さんや日比課長に対する時の土師尾常務ならいざ知らず、片久那制作部長にしては余りに大人気無い仕業と云うものでありましょうか。
 しかし案外この片久那制作部長は相手の態度が自分の意に染まない場合は、こんな無愛想な態度を露骨に取る事もあるのであります。土師尾常務と違って片久那制作部長のその態度には、反発よりも先ず恐怖を感じて仕舞うのでありますが、この場合頑治さんは、だからと云って焦ってこちらから矢鱈に喋りかけたりはしないのでありましたけれど。
 車中に得も云われぬ居心地の悪さが重く泥むのでありました。それでも頑治さんは敢えてそわそわしないで、落ち着き払った風にハンドルを操作しているのでありました。

 数日後の昼休みに、頑治さんは均目さんに昼食を一緒にと誘われるのでありました。何時もならこういう場合は大概一緒の那間裕子女史は、その日は風邪気味なので会社を休むと、始業時間を大分過ぎてから電話があったのでありました。
 均目さんがその電話を取ったのでありましたが、風邪と云う割には声も別に鼻声とか変な風でもなく、一応装っているのだろうから元気そうには聞こえはしないものの、かと云ってそれ程重い病状を窺わせるようでもなかったと均目さんは云うのでありました。例に依って寝過ごして慌てて跳び起きたは良いけれど、会社に行くのが面倒臭くなって、風邪の口実で狡休みしているのであろうと均目さんは笑いながら付け足すのでありました。
「片久那制作部長が会社を辞めた後、自分で本の編集請負とか雑誌の委託された記事なんかを書く仕事をする、と云うのはもう唐目君も知っているよなあ」
 時々、どこも混み合っている場合に仕方なく行く、あんまり流行っていない中華定食屋に陣取って、餃子ライスが来るのを待ちながら均目さんが訊いてくるのでありました。
(続)
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