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あなたのとりこ 486 [あなたのとりこ 17 創作]

 この後片久那制作部長は不快感を仄見せて黙るのでありました。尤もこの人のつれない様子はこの時に限った事ではなく、常日頃のものとも云えるでありましょう。依って今の頑治さんとの会話に依って不機嫌になったとは断定出来ないのではありますが、頑治さんとしては何となく身の置き所の無い心持ちでハンドルを握っているのでありました。

 宇留斉製本所に到着すると、片久那制作部長は最初に顔を合わせた先方の長女さんににこやかに挨拶を投げるのでありました。その言葉つきなんぞは、別に頑治さんとの車中での屈託なんぞにはまるで頓着していないと云った様子でありました。
「あらまあ、お珍しい人がいらっしゃったわねえ」
 長女さんは目を剥いて驚いて見せるのでありました。「御大自らお出ましになるのは、一体全体どういう風の吹き回しかしら。何か悪い話しでも持っていらしたのかしらねえ」
「いやまあ、そう云う事ではないんだけど」
 片久那制作部長は苦笑するのでありました。
「あらま、片久那さんじゃないの」
 次女さんが長女さんの言葉を聞きつけて傍に遣って来るのでありました。こちらにも片久那制作部長はにこやかな顔を向けるのでありました。
「どうした気紛れで、こんなむさくるしいところに態々いらしたのかしら?」
 長女さんが片久那制作部長にまあ中に入ってくれと云う手付きをするのでありました。
「気紛れで来たんじゃないですよ。ちょっと報告があるものだからね」
 片久那制作部長は作業場に上がるのでありました。相変わらず中は山積みされた折本やら折丁類で取り散らかっている様子で、その間を縫うように長女さんと片久那制作部長は衝立で仕切られた奥に消えるのでありました。奥には以前製本台として使っていた古い木製の大机とパイプ椅子四脚で、至って簡易な接客スペースが設えられているのでありました。頑治さんは前に覗いた事はありましたが、入った事は無いのでありました。
 頑治さんは何時も通りに持参した材料類を車から下ろして、入り口脇に積まれた、出来上がった製品の入った梱包された段ボール箱を代わりに車に積むのでありました。
「今日は三女さんはいらっしゃらないのですか?」
 頑治さんは受取証にサインをしながら、別に本気で気になったのではないけれど、ちょっとした愛想で次女さんにそう訊くのでありました。
「うん、ちょっと家の用で今日はお休みなのよ」
「ああそうですか」
「ところで片久那さんは、何の用があって今日態々来たの?」
「ええとそれは、・・・」
 別にここで喋っても構わないのではありましょうが、片久那制作部長は今奥で長女さんに自分が会社を辞める事になった経緯等話しをしている最中でありましょうから、それを同時にここで自分が次女さんに話して仕舞う事に頑治さんはけじめの点で僭越を感じるのでありました。まあしかしそれは余計な気の回し方だろうとも思うのでありましたが。
(続)
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