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あなたのとりこ 485 [あなたのとりこ 17 創作]

「どうかな、素っ気無くしないで、ちょっとくらい考えてみてくれるかな?」
 頑治さんがどう云う心算かなかなか捗々しい返事をしないものだから、片久那制作部長はそう訊いて頑治さんの出方を見ようとするのでありました。入社以来色々あって頑治さんが会社に辟易としていると踏んでいたのに、その頑治さんがすぐに自分の話しに跳び付いて来ないのが、片久那制作部長にすればちょっと心外だったのかも知れません。
「大変有難いお誘いです。・・・」
 頑治さんは語尾に屈託をそれとなく込めるのでありました。
「すぐには大した給料も出せないが、軌道に乗ったら出来るだけの厚遇はする心算だ」
「まあ、未だ仕事を始められる前なんですから、収入の事は今の段階で何とも云えないのは理解出来ます。自分もそこにはあんまり関心はないですし」
「と云う事は、そこ以外は、関心を持ったと云う風に考えて良いのかな?」
「いやまあ、そう云われると何とも返事の仕様がないのですが。・・・」
「まあ、未だ山のものとも海のものとも知れないところに来いと誘われても、そう易々と踏ん切りが付かないのは判るが、しかしこの儘贈答社に居てもあんまり先の見込みはないように思うけどなあ。第一唐目君の真価を常務や社長は判ってくれないだろう」
 何とか持ち上げてくれる片久那制作部長の言葉は心地良いのではありますが、掛け値無しにそやしてくれている訳ではないとも思うのであります。一定程度は本心から頑治さんの仕事の力量、若しくはひょっとしたら人間性辺りも大いに評価してくれているような口振りではありますけれど、しかし未だ互いに知り合って然程経ってもいないのでありますから、頑治さんの真価にしたって山のものとも海のものとも未だ知れない訳ではありませんか。頑治さん自身も、その片久那制作部長の世辞に見合う力量を自分が保有しているとはなかなか思えないし、後でがっかりされるのも何となく癪な事ではありますし。
「自分の真価なんかは、高が知れているじゃないですか」
 片久那制作部長はその云い草に頑治さんの気持ちの冷えを察したようで、それ以上云い募らずに少し口の動きを止めるのでありました。何となく重苦しい空気が泥むのでありました。頑治さんのちっとも煮え切らない様子に、遂にここに至って片久那制作部長は気分を害して仕舞ったのではないかと、頑治さんは少しおどおどするのでありました。折角目を掛けてやっていると云うのに、何とも目の掛け甲斐のないヤツでありますか。
「まあ、すぐに返事してくれなくても構わないけど、少し考えてくれないか」
 片久那制作部長はそう云ってこの会話を締め括るのでありました。どうやら頑治さんのその後の諾の返事は殆ど期待していないような、白けた気持ちの籠った片久那制作部長の云い草でありました。どうやらこれは脈無し、と判断したようであります。
 頑治さんとしては大いに魅力的な誘いではありました。片久那制作部長が云うように、この儘贈答社に残っても仕事に於いても待遇に於いても、先には大して優良な見込みはなさそうではあります。しかし何だか、諸共に苦難に立ち向かおうと誓い合った他の従業員を差し置いて、あっけらかんと自分だけそんな不遇から遁走するような具合で、それは如何にも潔くない仕業で、依って俄かにはこの誘いには乗れないのであります。
(続)
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