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あなたのとりこ 478 [あなたのとりこ 16 創作]

 日比課長が鼻を鳴らすのでありました。
「元々怖れてはいないとしても、土師尾常務と差しで話をする鬱陶しさとか大儀さとかからは、それで免れる事が出来ると云う事になりますよね」
 頑治さんはそう云いながら、日比課長が土師尾常務を怖れていようがいまいが、そんな事はこの際どうでも良いと思うのでありました。一々そんなところに拘られるのは、土師尾常務と差しで話しをするのと同じ程度に鬱陶しい事でありますか。
「まあ、何かしらの難癖を付けようものなら、組合員総出で当たってくると土師尾常務が考えるなら、それはそれで一定の牽制は働くと云うものかな」
 袁満さんが日本酒を微量、口の中に流し入れるのでありました。
「こっちとしてもそれはなかなか心強いしね」
 甲斐計子女史が眉宇に載せていた憂いを少し払った面持ちで頷くのでありました。ここで何となく、場に張りつめていた緊張が少し緩んだような気が漂うのでありました。
 片久那制作部長が会社を辞めると云い出した時には全員お先真っ暗と云った心持ちになったのでありました。しかしそれでも何とかかんとか会社の業務は回してゆけるだろうと云う目途も立ったようだし、片久那制作部長の居なくなった後の土師尾常務の増長に対しても、万全とはいかないながらも一応の備え方も確認出来たと云う事もあって、ここに集う全員に多少の安堵感が芽生えたための空気の弛緩でありましょう。
 まあひょっとしたらこの安堵感は、思考停止と、結論迄の道筋の荒さのために誘導された根拠の薄い楽観と云うだけかも知れません。窮地に於いては、得てして心の安寧のためにそのような思考の短絡が行われるものであろうと頑治さんは思うのでありました。
 しかしそれでも仄見えた一筋の光明に、多少の油断が窺えるとしても、今日のところはそれで構わないではありませんか。そうでないと、絶望から会社はすぐに瓦解するでありましょうし、何より今宵の安眠が阻害されて仕舞うと云うものであります。

   意外な目算外れ

 片久那制作部長の退職表明のお蔭で、出雲さんの退職する衝撃の方は何となく翳んで仕舞うのでありましたが、これは多少気の毒と云うものかなと頑治さんは思うのでありました。会社に於ける存在感と云うのか、両者の間の掛け替えの無さの違いと云う点で、ま、仕方が無いと云えば仕方が無いと云うものでありましょうか。
 その月の締め日で出雲さんは退職するのでありましたが、前以ってお別れの酒宴等は五月の連休中に新宿で執り行われていたから、その日迄にお別れ会の二次会の提案の声は誰からも上がらないのでありました。尤も頑治さんは夕美さんとの事があったのでそれには出席しなかったのでありましたから、日比課長と袁満さんと出雲さんが集う会社帰りの、インフォーマルな御茶ノ水駅近くの居酒屋での酒宴に参加させて貰うのでありました。
 袁満さんはその席でもくよくよと土師尾常務のこれから先の跳梁跋扈を心配するのでありました。矛先が先ず自分に向くのは必定だと思いなしているのでありましょう。
(続)
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