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あなたのとりこ 464 [あなたのとりこ 16 創作]

「それは要するに、社長がその暮れのボーナスを巡る一件とこの前の春闘で、俺を心底から煙ったく思ったのか、俺と土師尾常務の待遇に差をつけようとしたからだ」
 片久那制作部長はその折の社長の顔を思い出したように、唸る犬のような皺を鼻頭の辺りに寄せて見せるのでありました。

 片久那制作部長の話しを掻い摘めば、社長は土師尾常務と片久那制作部長の間の待遇の差を、片久那制作部長が許容出来る範囲を超えて広げようとしたのでありました。要するに事あるに付け様々苦言を呈する片久那制作部長よりは、耳触りの良いお追従を専らとする土師尾常務の方を、残念ながら社長はより愛でたと云う事でありましょう。
 おまけに、恐らく未だにモダニズムと弁証法的唯物論の徒たる片久那制作部長は、君君たらずと雖も臣臣たらざるべからず、なんと云う中国の伝統的儒教美学なんぞには見向きもしない人でありましょうから、それはまあ、利害関係者としてのそんな了見の社長を見限るのに然程の痛痒は感じないで済むと云う具合でありますか。それに利害関係とは云っても、常に社長の利の方を自分のそれよりは少し先にしていた心算の片久那制作部長の目には、そんな配慮に一顧もしない社長が歯痒い程に盆暗と映っていたでありましょう。
 片久那制作部長は土師尾常務より自分の方が、これ迄の生き様も人間の格も遥かに優っているという矜持は、まあ当然の事として持っていたでありましょうから、土師尾常務の待遇の多少の優位は、会社の落ち着きを考えて、自分が余裕をもって許容してやっていると云う思いがあったでありましょう。そう云う少し下がった位置に自分を敢えて置く事がまた、片久那制作部長の美意識にも沿っていたとも思われるのであります。
 しかしそれは或る微妙な一定の距離迄であって、それを越えようとするなら、これはもう社長の自分への裏切りであると見做すでありましょう。或いは社長の盆暗加減に、綺麗さっぱり愛想を尽かしてこの辺が見限り時であるとも考えるでありましょう。
 で、出雲さんが社長室から出て行った後で、そう云えばところで、と云った感じで、実は満を持してそんな提案が社長から、片久那制作部長にすれば唐突になされたのであります。社長の心底には、これ以上片久那制作部長に社長たる自分が良いように操られ、会社を牛耳られ続ける苦々しさが沸々と滾り立っていたのであります。
 社長としての権威も旨味も、平の取締役風情にこれ以上侵害され抑制され、或る意味軽視され続けるとなると、社長の方の我慢の方も好い加減この辺で限界に達していたのでありましょう。そこで、そんな片久那制作部長にけじめと云うものを思い知らせてくれようと云う逆襲の目論見が、竟にここに来て俄然発動されたと云う次第でありますか。
 これで片久那制作部長がしゅんと悄気て、怖れ畏まるようになればしめたものであります。それに若しもそうならなくて、久那制作部長が自棄を起こして会社を辞めるとかもの凄い剣幕で云い立てるとしても、それならそれで結構と肚を括ったのでありますか。まあ色々厄介で大して思い入れのある会社でもないし、社長には紙商事と云うもう一つの本業たる会社もある事だから、片久那制作部長に辞められて会社が立ち行かなくなっても、もう構うものかと云う、こちらにはこちらの自棄のやんぱちがあった訳であります。
(続)
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