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あなたのとりこ 434 [あなたのとりこ 15 創作]

「そんな事をされると困るわよ。早く座って」
 那間裕子女史が慌てて差し出した両手の、掌を下に向けて上下に何度も動かして出雲さんに着席するように促すのでありました。出雲さんはそれに従って素直に腰を下ろすのでありましたが、座った後でまた恐縮のお辞儀をして見せるのでありました。
 那間裕子女史と均目さんは、当初は出雲さんの退職を何とか思い止まらせようと云う意気込みでこの会合を持ったのでありましょうが、逢った端から出雲さんの決意の固さに気圧されて諦めたと云った風でありましたか。であるのなら自分が、同席せよとたって頼まれて夕美さんと久し振りに一緒に居られる時間を犠牲にして迄この会合に出て来たのは、一体何の意味があったのだろうかと頑治さんは胸中で溜息を吐くのでありました。まあしかし無表情を決め込んでそう云う憤慨は露骨に顔には表さないのでありましたけれど。
「出雲君、矢張り辞めるんだ、会社を」
 甲斐計子女史が顔を近付けて隣に座っている出雲さんに訊ねるのでありました。その事は均目さんか那間裕子女史からの今朝の電話で知らされてはいたのでありましょうが、ここでようやく事の現実味を実感したのでありましょう。
「はい。申し訳ありませんけど」
出雲さんは身を縮めるように一礼しながら詫びるのでありました。
「でもそれは、要するに土師尾さんの思う壺じゃないの?」
 甲斐計子女史は出雲さんの顔を覗き込むのでありました。その覗き込む様が、少し顔を接近させ過ぎてはいないかと、頑治さんは全く余計な事を考えるのでありました。
「まあ、そうかも知れませんが。・・・」
 出雲さんは項垂れるのでありましたが、その時判らないくらい僅かに自分の顔を甲斐計子女史の顔から遠ざけるのでありました。幾ら歳が十以上も離れているとは云え、女性とそのように顔を接近させた状態が、ちょっと照れ臭かったのでありましょう。
「確かに土師尾常務の目論見通りに事が進行するのは、かなり癪だよなあ」
 均目さんが腕組みしながら吐き捨てるのでありました。
「あんな奴にして遣られた感を持って仕舞うのは、腸が煮えくり返るようだ」
 袁満さんも憤怒を表明するのでありました。「何時か屹度、仕返しして遣るから」
「本当に済みません。・・・」
 出雲さんは袁満さんのその様子を見ながら余計に恐懼するのでありました。
「それが判っていても、それでも出雲君は会社を辞める方を選んだと云う事ね。ま、それも判るような気がするけどね」
 甲斐計子女史がここで出雲さんの決意に理解を示すのでありました。これで出雲さんの決意に対してここに集う全員が納得したと云う事になりますか。
「辞表は連休が明けたら早速出す心算なの?」
 那間裕子女史が冷めたコーヒーを一口啜ってから訊くのでありました。
「ええ、その心算でいます」
 出雲さんはここでも未だ申し訳無さそうな口振りなのでありました。
(続)
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