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あなたのとりこ 428 [あなたのとりこ 15 創作]

「じゃあ、そう云う事で決まり」
 頑治さんは人差し指を顔の前に立てて断定調に云うのでありましたが、人差し指を立てる動きに関しては別に何か特段の意味がある訳ではないのでありました。
 出かけるまでの時間、夕美さんはこの部屋に監視のため残していたネコのぬいぐるみを弄びながら過ごすのでありました。役目ご苦労、この先も頼む、と云う慰撫と激励でありましょうか。であるならこの後、伊東静雄の詩集と野呂邦暢の小説を手に取ったなら、間違いなく頑治さんに対する監視連中への秘かな慰撫と激励と云う事になるのでありましょうが、しかしこの二冊の本には別に手を伸ばす気はないようでありました。

 もう今にも出掛けようとしている時に、再び電話の呼び差し音が鳴り出すのでありました。頑治さんは瞬間嫌な顔をするのでありました。ひょっとしたら出掛ける迄の間に無粋な電話機がまたもや騒ぎ出すのではないかと云うのは、頑治さんが秘かに恐れていた事でありました。悪い予感に限って屹度的中するものであります。
「電話に出ないの?」
 夕美さんが敢えて無視しようとしている頑治さんに訊くのでありました。
「何だか出たくない心持ちがするんだよ。どうせまた会社の人からだろうから」
「でも頑ちゃんの会社、何だかごちゃごちゃしている最中みたいだから、何か大事な要件で急にかかってきたんだとしたら拙いんじゃないの?」
「確かに今会社はごちゃごちゃしているけど、でもそんなに急な用でこの電話が鳴っているんじゃないと思うけどねえ。それより無視して早く出掛けようよ」
 頑治さんは玄関に歩き出すのでありましたが、すぐに後を追って来ない夕美さんを訝って振り返ると、夕美さんの、もしもし、と云う声が振り返った顔にぶつかって来るのでありました。夕美さんは電話がなかなか鳴りやまないので、見兼ねて受話器を取ったのでありましょう。やれやれ余計な事を、と頑治さんは小さく舌打ちするのでありました。
「頑ちゃん、那間さんて、女の人からよ」
 そう云われてそこでようやく頑治さんは、慎に不本意ながら夕美さんの方にゆっくり戻るのでありました。受話器を渡そうとする夕美さんに眉を顰めて見せてから、如何にも不承々々そうな手付きでぞんざいにそれを受け取るのでありました。
「あれ、今の人は誰よ?」
 那間裕子女史が電話を代わった頑治さんの耳に向かって早速、意外な展開に大いに戸惑ったような、且つ興味津々と云った風の口調で訊くのでありました。
「ああ、いや、まあ、ちょっと、・・・」
「ははあ、唐目君の彼女なのね」
 那間裕子女史はからかうように云うのでありました。
「いやまあ、別に、ええと、・・・で、用事は、何でしょうかね?」
 頑治さんは誤魔化すように、しかもこれ以上その事は訊かないように、聞かれても応える気は無いから、と云う意を語句にきっぱりと込めつつ返すのでありました。
(続)
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