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あなたのとりこ 392 [あなたのとりこ 14 創作]

 日比課長が身を乗り出しながらそう訊くのでありました。
「いやあ、特には何も。ありきたりの挨拶を交わす程度で」
「ああそうか。まあ、それはそうだろうけど」
 日比課長は乗り出した身をまた背凭れの方にゆっくり戻すのでありました。ひょっとしたら結構本気で、頑治さんがこれから喋るであろう事に何やらの期待を秘かにしていたのかも知れないと、日比課長のそう云う所作を見ながら頑治さんは思うのでありました。
「単に云い付けられて納品に行くだけなんだから、唐目君にそこの会社とウチとの営業上の機微なんかが判る筈がないし、先方だって単に納品に来ただけの作業服を着た人間に、何やかやと営業上の話しを態々する筈もないだろう」
 土師尾常務もひょっとしたら頑治さんと同じ感触を日比課長の所作に感じて、日比課長のある意味迂闊な期待を窘めようとしてそう云うのかも知れませんし、或いは頑治さんのものす言葉に対して、社長も含めてこの場に在る皆が過剰に期待する向きがあるのを面白く思わないで、ちょいとばかり水を差そうとしてそう云うのかも知れません。
「土師尾君も日比君も、出来るだけ頻繁に見込みのある会社にコツコツと出向いて、兎に角どんな小口でも、何かしら仕事を取って来る心算でいないとね。ある意味先方に煩がられるくらいでないと、このご時世、なかなか仕事は貰えないだろうよ」
 これは嘗てリヤカーに紙を積んで、足を遣ってあちらこちらと回って売り歩いたと云うこの社長の、経験から身に付けた営業流儀でありましょう。
「餌は蒔いているんですけど、不景気ですからなかなか食い付いてくれません」
 土師尾常務が色々方策を講じているところを社長に訴えるのでありました。「景気が好い時は照会も見積依頼も頻繁に来るんですけどねえ」
「そう云う、ご時世のせいにするのは営業としてのプライド上、どうなのかねえ」
 社長がやんわりと土師尾常務の言葉に反発を呉れるのでありました。
「そう仰いますけど、現実にはなかなか。・・・」
 土師尾常務はゆっくり首を横に何度か動かすのでありました。「ウチの今の商品ラインアップでは、思うような展開が見込めないですしねえ」
「売り上げが伸びないのは営業力ではなく商品に問題があるから、と云う事ですか?」
 ここで那間裕子女史が土師尾常務の言葉に突っ掛かるのでありました。
「特注営業的に魅力のある商品が自社製品に少ないのは事実だ。だから利益が薄いけれど他社商品に頼らざるを得ない。実際の営業する側としての要望とかアドバイスを制作サイドに伝えても、こちらの意向にはさっぱり無関心のようだから営業意欲も削がれる」
 これは土師尾常務の制作部への、延いては片久那制作部長に対するストレスの表明でありますか。営業サイドの意を充分酌んだ商品開発をしてくれないから積極的で闊達な営業活動が出来ないし、だから結局売り上げが恒常的に落ちていったんだという論でありますか。その真偽は置くとしても、土師尾常務の思いはそうであるのでありましょう。
「売り上げがじり貧になったのは制作部が良い商品を作らないからで、自分の意気込みや営業力が無いせいじゃないと云うような繰り言を、要するに主張したい訳ですね」
(続)
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