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あなたのとりこ 389 [あなたのとりこ 13 創作]

「有力な話しも幾つかあるけど、未だ発表出来る段階ではない」
「なあんだ、要するに何も無いと云う事か」
 日比課長は侮るような口振りながら、上司への憚りからかそれとも単なる小心からか、土師尾常務の顔から目線を逸らして独り言めかして呟くのでありました。
「しかし私が今進めている有力な商談と云うのは、豪華版ロードマップの五十部とか百部とかの、大して有難くもない小さな儲け話しなんかとは違うよ」
 日比課長如きの肚の座っていない侮りなんぞは、歯牙に掛ける程の重さも無いと云うところを表するためか土師尾常務は、ここは喧嘩腰にはならすにあくまで日比課長を見下したような余裕の口振りで云うのでありました。しかしこれは取り敢えず日比課長への自分の優越を誇示するため以上の云い草ではなく、実際その素振りから、然程に有力で大きな商談をどこかの会社と進めているような気配は何ら窺えないのでありました。
 この人は自分を大きく見せるためのホラ話しを何の躊躇いも無く、効果の見込みや計算も無く、単にその場凌ぎと対抗心から、口から出任せに吹いて見せるのは得意中の得意でありましたか。ちゃんとした状況分析も無いものだから、元来からその言動を疑っている向きには他愛なく魂胆を見透かされて仕舞うのであります。その見透かす最有力者が片久那制作部長で、片久那制作部長の前では自分の吹いたホラが端から通用しない事を知っているから、用心して結果的に軽蔑されるような虚言は極力控えているのでありました。
 とまれ、日比課長は土師尾常務にそう軽く往なされて不本意ながら沈黙するのでありました。何とはなしの苦手意識から来る土師尾常務に対する弱腰でありますか。
「でも常務のその有力な商談と云うのは、何処の会社からの話しで、どの商品を大体どのくらいの部数でとか、その程度は具体的に話せるでしょう?」
 これは、日比課長の無意味な弱気と追及言葉の全然鋭利でないところに焦れた那間裕子女史の、土師尾常務に向かって発せられる言葉でありました。思わぬ方向から追及の礫が飛んで来たものだから、土師尾常務は那間裕子女史を睨むのでありました。

 那間裕子女史は、追及するに於いての言葉の鋭さと緻密さと云う点で、日墓課長よりは少し手厳しいでありましょう。それに勿論、那間裕子女史は直接の上司である片久那制作部長との対比に於いて、土師尾常の方には畏敬の念も薄かろうし、だから然して心服する謂れも無いし、畏れ入ってもいないでありましょう。土師尾常務はその那間裕子女史を睨む目線に、日比課長に対するそれとは違って警戒の色を込めるのでありました。
 元々土師尾常務には、片久那制作部長程の怖さではないにしろ、自分の口八丁に、均目さんも含めた制作部の連中は、営業部とは違って簡単には丸め込まれないだろうと云う認識があるようであります。まあ尤も、頑治さんの机も制作部スペースにあるのではありますが、この認識中に、頑治さんはどうやら含まれてはいないようでありますけれど。
「今は未だ、特に披露するべき時じゃない」
 土師尾常務は言を濁して逃げようとするのでありました。しかし那間裕子女史は端からホラと見做しているから、追及の手をそれで緩める事はしないのでありました。
(続)
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