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あなたのとりこ 364 [あなたのとりこ 13 創作]

 袁満さんの発声に皆はジョッキを少し持ち上げて和するのでありました。考えてみればこんな場面で屡、律義に乾杯をするのは全く以って無意味な慣習であるなあと頑治さんはふと思うのでありましたが、まあ、それは取り敢えずさて置くのでありました。
「あたしが頭にきたのは、今袁満君が云った事に尽きるのよ」
 那間裕子女史がジョッキを顔の前から下げて、口角に付着していたビールの泡を吹き飛ばしながら云うのでありました。「結局、あの二人を優遇するために、あたし達の賃金や一時金は抑えるだけ抑えようって云う魂胆でしょう。ふざけているわよ」
「あの土師尾常務と片久那制作部長の二人だけが会社に必要な人間で、俺達は居ても居なくてもどうでも良い存在だと云う訳だよなあ。だから待遇面だけじゃなくて、今度の妙な人事異動なんかを敢行して、俺達を酷く扱うんだ。一応組合が出来たんで体裁上はそれなりの回答をしたけど、あの二人の優遇に比べれば馬鹿にされているようなものだ」
 袁満さんも憤慨の声音で那間裕子女史に大いに和すのでありました。
「あの二人に退職金をそれだけ出す事が出来るのなら、俺達ももっと賃金も一時金も高額な要求をすれば良かったっスよねえ。業績不振は出鱈目っスかねえ」
「全くの出鱈目でもないだろうけど、悪乗りして大袈裟に云い募ったと云う事だろうな。俺達の暮れの一時金をケチってやろうと、初めの内は秘かにそれだけ目論んで」
「悪辣非道というものだよなあ、その遣り口は」
「その上に組合結成に付け込んで、自分達の待遇をもっと上げようとした土師尾常務と片久那制作部長の企みは、その悪逆非道な遣り口の更に上の醜さと云うものだ」
 袁満さんは口の中に充満していたそんな憤懣を吐き捨てて、その分の空いたスペースにビールをグイと流し込むのでありました。
「でも、役員になった時にそれまでの退職金が支払われると云う慣習は、そんなに突飛でも酷くもない、世間では良く行われる一種のルールですよ」
 頑治さんが皆の憤懣で盛り上がった気分に水を差すのでありました。
「そうなのかい?」
 袁満さんが目を剥いて頑治さんを睨むのでありました。
「俺もこの前、昼飯を一緒に食った時にそんな事を唐目君に云われて、ちょっと調べてみたんだけど、確かにそう云う事例は、ごく一般的に行われているみたいだよ。俺は今迄そんな事に縁も所縁も無かったから、ちいとも知らなかったけど」
 均目さんが静かに云って袁満さんの顔にクールな視線を向けるのでありました。「役員になるんだから当然その時点で従業員と云う立場から離れる訳で、それは要するに退職扱いとされる事だから、退職金が発生するのは全く不自然じゃない」
「そんなものなのかねえ」
 袁満さんはあくまで懐疑的な風情を崩さず、そんな事は全く気に入らないし受け入れ難いと云った顔付きでありました。出雲さんも甲斐計子女史も、それから那間裕子女史も、屹度袁満さんと同じ気分なのでありましょう。四人は頑治さんと均目さんを、重い沈黙と共に、土壇場での裏切り者を見るような目容で横目に窺っているのでありました。
(続)
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