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あなたのとりこ 339 [あなたのとりこ 12 創作]

 頑治さんは慌ててコップのビールを半分程口の中に流し込んでから、そのコップを両手で持って那間裕子女史の手に持つビール瓶の傍に徐に差し出すのでありました。甲斐計子女史に向いていた頑治さんの顔を自分の方に向けようとして、些か強引に酌を試みようとしたのかしらと、頑治さんは那間裕子女史の心中を推察するのでありました。
 那間裕子女史はこれ迄も屡、頑治さんにそんなちょっかいを出す事があるのでありました。どうしてかは確とは判らないながら、那間裕子女史は自分の居る席で、頑治さんが自分以外の人、特に女性と、親しく話しをするのが嫌いなようでありました。だからと云って頑治さんに特別な感情を持っていると云う風ではないのでありましたが、恐らく女史は頑治さんの見立てに依るとかなり自意識が強いタイプなのでありましょう。
 頑治さんの顔が反対側に居る那間裕子女史の方に向いて、甲斐計子女史から逸れたのを好都合と、袁満さんを間に挟んでいるから些かもどかしそうな気配を見せつつも、日比課長が上体を卓の上に乗りだして顔を甲斐計子女史の方に捻じって何やかやと話し掛けている声が、頑治さんの後頭部で些か煩く聞こえるのでありました。滅多に宴席に顔を出さない甲斐計子女史のこの場での佇まいが日比課長は大いに気になるようであります。
 日比課長は甲斐計子女史が自分と同じく他の連中よりも歳がかなり上であると云う辺りにも、より親しみを感じるのかも知れません。確か甲斐計子女史は頑治さんよりも十歳ばかり歳上の三十歳代で、日比課長はそのまた七つ程歳上の四十代であります。三十代の甲斐計子女史が、二十代の他の連中よりは四十代の日比課長の方により親しみを感じるかどうかは、これは何とも云えないであろうと、頑治さんは背後の日比課長のあれこれ何やかやと、甲斐計子女史に熱心に喋り掛けている声を聴きながら思うのでありました。
「唐目君は全然腹が立たないの、片久那さんと土師尾さんの役員昇格に対して?」
 那間裕子女史が背後の気配に未だ少し意識を残し気味の頑治さんに向かって、頑治さんの気持ちをしっかり自分の方に向ける心算からかそう聞くのでありました。
「ああいや、まあ、そんなに腹が立つと云う程ではないけど、驚きはしました」
 頑治さんは那間裕子女史の、上目がちに見開かれた目元を見ながら応えるのでありました。こうして見ると那間裕子女史の目はなかなかに大きくて円らかでありました。
「今度の新しい賃金式では、片久那制作部長も土師尾営業部長も、それ以前の賃金とあんまり変わらないと云う事になるから、それが気に入らなかったんだろうなあ」
 那間裕子女史の右隣に居る均目さんが言葉を挟むのでありました。「俺達従業員は同一年齢同一賃金と云う建前から是正額があって、そのせいで結構なアップ額になるけど、あの二人は殆ど前と変わらない計算になるからなあ。まあ、以前から俺達の賃金に比べて、あの二人だけ突出して、かなり貰い過ぎ、と云う側面はあったけど、そう考えて納得するようなタマでは二人共ないし、社長に、俺達にはもっと寄越せと当然凄んで、そのためには賃金体系から外れる必要があるから、まあ、役員に、と云う事になったんだろう」
「遣る事が姑息と云うものよ、そう云うのは」
 那間裕子女史がそう吐き捨ててビールをグイと煽るのでありました。
「まあしかし、あの二人の気持ちを慮れば、それもありかな、とは思いますけど」
(続)
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