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あなたのとりこ 326 [あなたのとりこ 11 創作]

 まあ、こんな事を云うと派江貫氏辺りに不謹慎千万だと怒られそうでありますが、それでも頑治さんは何となく、労働組合側の演説の中に嫌に古典劇的に悠長でありながら、それでいてかなり好い気で、如何にも狡賢そうな底意をどうしても聞き取って仕舞うのでありました。それに定式化されて今となっては少々綻びも目立ち始めた、典型的な労働者と経営者との対立構図を未だに使用している辺りが手腕として白々しく、寧ろそう云うステレオタイプは窮状を訴える迫力に欠けるようにも思えて仕舞うのでありました。
 まあ要するに、春闘、と云う賃金を改定するに当たっての祭儀と云うのか、定例儀式なのでありましょうから、このお祭りを盛り上げるためにはこう云う決まり事は労使共に尊重すべきものなのかも知れません。勿論、深刻な雇用の危機にある人達とか、決まった賃金さえ長く受け取る事が出来ない人達とか、会社が倒産の危機にあって先の目途も立たない人達とか、本当に酷薄な境遇も一方にある事は理解した上での感想でありますが。

 社長は労働組合が出来たとしても、それでも社内の人間関係を妙な波風が立たないように、なるべく良好に保とうとする気があるのであろうとばかり組合員は推察していたのでありますが、その当の社長発信になる不穏な策謀が急に明らかになるのでありました。それは非組合員である甲斐計子女史に向けられたものでありました。
 贈答社の春闘が一応の妥結を見て、件の社長の奢りになる酒席が設けられた日か然程経っていない或る日の昼前でありましたか。何の用事に行ったのか判らないけれど外から戻って来た土師尾営業部長より、今社長が呼んでいるから、との伝達があって土師尾営業部長共々甲斐計子女史は特に疑念も無く二階の社長室に向かったのでありました。
 普段甲斐計子女史は会計仕事上の必要から社長に印鑑を貰いに行ったり、事務処理のための社長の指示や裁可を受けに社長室に赴く事は偶にあるのでありました。この時も後の甲斐計子女史の言に依れば、土師尾営業部長の同伴と云うのは何時もと違って少し胡散臭いところもあったけれど、億劫ながらも特に強い引っ掛かりも無く、社長から仕事上の何かの指示があるのだろうと考えて社長室に向かったと云う事のようでありました。
 勿論袁満さんも、この日は未だ外回りに出ないで偶々事務所に居た出雲さんも日比課長も、別に何ら異変らしき気配なんぞは感じなかったし、単なる何時も通りの甲斐計子女史の社長室詣でであろうと思ったようでありました。頑治さんにしても、この時は倉庫ではなく制作部スペースにある自分の机で在庫帳を記入していたのでありましたけれど、何やらの異変の匂いは営業部スペースからは何も漂ってはこないのでありました。
 これは後に判明した事でありますが片久那制作部長にしても、甲斐計子女史がこの時どうして社長室に呼ばれたのかは関知の外であったようでありました。つまり片久那制作部長は、この策謀に関しては何も加担してはいないと云う事のようでありました。
 ぼちぼち昼休み時間になるほんの少し前に、甲斐計子女史は社長室から戻って来るのでありました。先ず甲斐計子女史に依って、事務所のドアがやけに荒々しく引き開けられたのに袁満さんが驚くのでありました。そう云うのは何時もの甲斐計子女史には無い所行でありましたし、甲斐計子女史の顔は憤怒に依って赤味を帯びているのでありました。
(続)
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