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あなたのとりこ 302 [あなたのとりこ 11 創作]

「まあ、会社を辞めた山尾主任の事はこの際置くとして、今回の回答を見る限り、気の滅入るような係争が延々と続くような気配は無くて、何となく妥結出来る線が見えるな」
 均目さんが故意になのか自然になのかは判らないながら、山尾主任の話題を脇に退けて先程の回答書の方に話しの重心を戻すのでありました。
「そうだね。概ねこちらの意を酌んでいるからね」
 袁満さんが同意するのでありました。
「後は額次第よ」
 那間裕子女史はあくまで回答書に示された額には不満のようでありました。
「その増額の点も含めて、もう一二回団交を重ねれば、妥結に至りそうだよなあ」
 袁満さんは楽観的な観測を述べるのでありました。「思いもしなかった労働組合結成とかで、妙に感情的になられたら面倒だなと思っていたけど、意外に対抗的な反応じゃなくて良かったよ。まあ、土師尾営業部長が前面に出てこないで、万事に事なかれ主義の社長と、片久那制作部長が主導しているのかこちらには好都合と云うものだよなあ」
「元々土師尾さんにはこんな事態への対処能力なんか何も無いわ」
 那間裕子女史は歯牙にもかけていないような云い草をするのでありました。
「片久那制作部長にしても土師尾営業部長の口出しを許す気は全くないようだから、交渉はこの後も屹度上手く運ぶんじゃないの」
 袁満さんが話しを締め括るようにそう云うと皆で同意の頷きをするのでありました。那間裕子女史は回答額に再三不満を表明するのでありましたが、袁満さんも均目さんも、それから出雲さんも、額について実は然程の不満は感じていないようでありました。賃上げ額も何時もの年よりも是正額が加味される分多いと云う事でありますし、夏の一時金も例年程度は保証を得たようでありますから。ま、頑治さんとしても同様でありました。
 それに片久那制作部長が交渉の実権を握って前面に在る限り、この後の紛糾は考えられないと云うものであります。社長が思いもかけない理由で急に臍を曲げない限りは。

 二次回答日を控えた数日前の日曜日に、夕美さんが愈々東京での生活を切上げて故郷に帰るので、頑治さんは東京駅迄見送りに行くのでありました。引っ越し作業やら卒業式やらでこのところずっと夕美さんはバタバタとしていて、頑治さんはなかなかゆっくりとは会えないのでありました。それでも引っ越し荷物の荷作りとか多少は手伝ったのでありましたが、充分に貢献したと云う気持ちは湧いてこないのでありました。
 列車の発車時刻までは未だ大分あるからと、夕美さんの誘いで二人は地下街の喫茶店に入って、この先暫くは儘ならない逢瀬の名残りを惜しむのでありました。
「叔母さんとかは、今日は見送りに来ないの?」
 頑治さんが訊くと、掌に暖を移そうとしてかコーヒーカップを両手で抱え上げた夕美さんが、唇にそれを当てる前に頷いて見せるのでありました。
「田舎の連中は何かあると必ず駅に見送りに来て、その場で急に大きな荷物を託したりしてげんなりさせてくれるけど、こっちの親類はクールであっさりしているから」
(続)
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