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あなたのとりこ 221 [あなたのとりこ 8 創作]

 まあ、何を今更そんな遠慮は無意味と云えば無意味でありましょうけれど、しかし頑治さんには自分なりの規矩があるのでありました。紳士たる者、関係に狎れてどんどんと相手への配慮を喪失していくのは厳に慎むべき態度であると。
 何処でどのような経緯でこのような倫紀を創り上げたのか自分でも良くは判らないのでありましたが、頑治さんには昔から一方に妙に堅物の横顔があるのでありました。それを一種の可愛気と取る向きもあれば、つまらない気取りと観る向きもあり、エエ恰好しいのポーズと勘繰る向きもあるのでありましたが、まあ、受け取られ方には頑治さんの関知の他であります。嫌でも応でもそう思って仕舞うのだから、仕方が無いのであります。
 夕美さんのアパートに着いてから頑治さんはお土産のカルメ焼きと、これは特に頼んではいなかったのでありましたが、故郷のデパートの初売りで見付けて竟買って仕舞ったと云う夕美さん見立ての空色と薄草色のセーター二着を貰うのでありました。
「へえ。夕美が選んでくれたんだ」
「そう。頑ちゃんトレーナーとかは持っているけどセーターは持っていないでしょう」
「そう云えばそうだな」
 頑治さんは嬉しそうに手渡された二着のセーターを交互に眺めるのでありました。
「冬は上着の下にセーターを着ていると温かいのよ」
「ふうん。いやしかし、どうも有難う。何となく申し訳無いような気がするけど」
「ううん、気にしないで。あたしが勝手に買って来たんだから」
 成程、カルメ焼きの他にこのセーター二着が旅行カバンを余計に膨らませていた一因であったようで、そう考えると道中の持ち辛さがここで一気に霧消するのでありました。
 アパートで夕美さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら暫く談笑して、頃合いを見て二人で外に出て駅前のレストランで夕食を共にして、その後その儘頑治さんは電車で本郷の自分のアパートに帰るのでありました。ここまでで、夕美さんの今後の進路についての話しは特に何も出ないのでありました。週末に夕美さんが頑治さんのアパートに来ると云う事なので、その折にそちら方面の話が何かあるのかも知れません。
 今日話が出なかったと云う事は、すぐには報告し辛い夕美さんの決定がなされたからかも知れないと頑治さんは電車のつり革につかまって、車窓に映る自分の姿をぼんやり眺めながら思うのでありました。と云う事はひょっとしたら矢張り、夕美さんは修士課程修了後に郷里に帰って、博物館か高校に就職する事を決めたのでありましょうか。
 夕美さんの「頑ちゃんの笑い顔を見ると故郷に帰っている時よりもホッとする」と云った先の言葉を、それを聞いた当座は、東京に残る事の遠回しの表意かと喜んだのでありましたが、ここ迄に何も話されないと云う事実の方が、自分に好都合な浮付いた解釈なんかよりも強力で厳粛な気がするのでありました。頑治さんは手に下げた、お土産のセーターとカルメ焼きを入れた紙袋が急に重くなったような気がするのでありました。

 混乱と不信と大儀を一方に、山尾主任はグアム島に結婚旅行へと出発するのでありました。人生の一大事なのに、只管楽しい旅となりはしないような具合でありましたか。
(続)
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