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あなたのとりこ 206 [あなたのとりこ 7 創作]

 土師尾営業部長も一瞬顔を向けるのでありましたが、怖じたようにすぐに目を逸らして手元の紙に視線を落とすのでありました。それから声のトーンを今迄とは違ってやけに落として、本題を続けようとするのでありました。
「ええと、それから日比君だけど、・・・」
 ここで名前が出た日比課長が少し背筋を伸ばすのは、お次は自分がとんでも無い配置転換を云い渡されるのかと体を強張らせたからでありましょう。

 土師尾営業部長は紙に目を落とした儘で続けるのでありました。
「山尾君が特注営業に回るんだから、年度末までに今迄日比君が担当していた会社を山尾君に順次引き継いでいって貰いたいんだ。その後新年度からは、今迄の特注営業の経験を生かして、出雲君の地方特注営業の仕事を監督指導していって貰う事になる。出雲君と協力して新しい仕事に邁進して貰いたい。会社としては大いに期待しているから」
 この土師尾営業部長の言を聞いて出雲さんが不意に小さく頷くのは、特注営業に関しては経験も無く、何も知らない自分が一人で暗中模索しなければならないのかと大いにたじろいでいたので、日比課長と一緒だと聞いてほんの少し安心したのでありましょう。
「出雲君と一緒に地方の特注営業ですか。・・・」
 日比課長が一つ唸った後に顎を撫でながら呟くのでありました。
「そう。これは会社の営業活動の新しい柱として大きく成長させたいんだ」
 土師尾営業部長は鼓舞するような口調で日比さんに頷いて見せるのでありました。しかしどことなく、そう云う割には妙に芝居っぽい風情がその物腰にあると頑治さんは感じるのでありました。本当は然程の期待は抱いていないくせに日比課長と出雲さんをこの場だけ納得させるために、あれこれ言を弄しているのではないかと思ったのであります。
「今迄の特注営業から外れろと云うわけですか」
 日比課長は不満且つ億劫そうな気配を見せるのでありました。それはそうでありましょう。これ迄日比さんが長い時間を費やして自分なりに培ってきた取引先との関係を無にして、あっさり山尾主任に譲れと云われているのでありますから。
「新しい地方の特注営業先を開拓して貰いたいと云っているんだよ」
「未だちゃんとした形も方法も無い、それどころか、そう云う市場があるかどうかも知れない仕事のために、これ迄遣ってきた仕事を離れろと云うのですね」
「何度も何度も、そんな消極的な云い方は止してくれるか」
「いや、消極的と云うのか、突然そう云い渡されても、ねえ。・・・」
 日比課長は苦った顔で土師尾営業部長を見るのでありました。頑治さんはふと、戦国時代の織田信長の家臣だった明智光秀の事を思い浮かべるのでありました。確か石見と出雲を攻めるに際して、そこは未だ毛利領であるけれど攻め取り次第だと、未だ取ってもいない領地を担保に現有の丹波と南近江の領地を召し上げられたのでありましたか。
 何となく土師尾営業部長はそんな条件を日比課長に示しているような按配ではないでありましょうか。まあ、土師尾営業部長が信長程の器量があるかどうかは全く別として。
(続)
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