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あなたのとりこ 152 [あなたのとりこ 6 創作]

「年が越せない、なんてそんな古めかしい云い方は芝居の紋切り型の科白で、あたし達の切羽詰まった心情をリアルに表せていないわよ」
 那間裕子女史が眉根を寄せて舌打ちするのでありました。
「確かに、本当に年を越せないかと云うと、そうでもないし」
 均目さんが同調するのでありました。「今時のサラリーマンの、総収入の中に占める可処分所得の割合から見ても、リアリティーに欠ける大袈裟過ぎる云い方だな」
「何だい、可処分所得って?」
 袁満さんが困惑顔で均目さんに訊くのでありました。
「生きていくのに絶対必要な、食う分とか寝る場所とか最小限の衣服とかにかかる費用を総収入から差し引いた自由に遣える所得の事です。経済学で出て来る用語ですよ」
「ふうん、ちいとも知らなかった。俺、大学は経済学部だけど。まあでも、俺の出た三流大学では俺の不真面目もあるけど、そんな難しい言葉なんか教えてくれなかったかな」
 袁満さんは屈託無さそうに笑うのでありました。「しかし俺は年中ピーピー云っていて、年が越せない、とか云う言葉にも結構リアリティーを感じるけどなあ」
「そんな事も無いでしょうけど」
 均目さんが苦笑いを返すのでありました。「因みに袁満さんは貯蓄がありますか?」
「うん。まあ、恥ずかしいくらいの少額だけど」
「本とか雑誌とか、それから袁満さんはお酒とか購入しますか?」
「そうね、時々エッチな雑誌とか買うね。それに俺は甘党だから酒よりもチョコレートやら饅頭やらはちょいちょい買うけどね。この前友人にゴディバのチョコレートを貰って初めて食ったけど、あれは甘くて上手かったなあ。均目君は食った事ある?」
「いやまあ、ゴジラだかゴディバだかのチョコレートの話しはこの際脇に置くとして、つまり食う事と寝る場所、それに最低限の衣服に掛かる費用に収入の総てをつぎ込んで全く余りも出ない、と云う状態ではないんですよね?」
「そりゃそうだ。テレビも持っているし洗濯機もある。少し高いオーディオセットもこの前買ったし、偶には映画も見に行ったりもする。至って文化的な生活をしているよ」
「それに聞くところに依ると、若い女の子が大勢居る変な酒場なんかにも結構足繁く出入りする、と云う噂も俺の耳に届いていますよ」
「そんな事云いふらすのは屹度日比さん辺りだろうけど、まあ、偶には行く」
 袁満さんの、そんな事を抜け々々とほざくニヤニヤ笑いを一瞥して、那間裕子女史が露骨に嫌な顔をしてソッポを向くのでありました。
「要するに、そう云うお金があるんだから、年も越せない、とか云う時代劇の科白みたいなのはリアリティーが無いと云う事ですよ」
「ふうん、そう云うものかな」
 袁満さんは一応納得するのでありました。その二人の遣り取りを聞きながら随分長々しい可処分所得の説明だったなと、頑治さんは少しげんなりするのでありました。
「俺が年を越せないと云ったのは本当にそんな科白を吐く心算で云ったんじゃないよ」
(続)
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