SSブログ

あなたのとりこ 108 [あなたのとりこ 4 創作]

「俺としては夕美が兎に角東京に居てくれるのが一番嬉しいかな」
「あたしもそうしたいと思ってはいるんだけど。・・・」
 夕美さんはそう云ってから頑治さんの方に気持ちの籠った強い視線を投げて、それからゆっくり俯くのでありました。
「思ってはいるけど、そうもいかない障害でもあるのかな?」
 頑治さんが訊くと夕美さんは顔を上げるのでありました。
「ううん、東京に残れないような特別な障害なんか何もないわ。でも、・・・」
「でも、何?」
「何だか、思い通りにはいかないような予感、みたいなものがあるの」
「予感、ねえ」
 不吉な予感だと頑治さんは心の中で云うのでありました。特に根拠は無いながらもそう云った予感は時々見事に当たったりするものだと云うのは、これまで生きてきた経験から頑治さんは承知しているような気がするのでありました。だから余計不吉なのでありますし、夕美さんがそんな予感を持っている事は慎に忌々しい事であります。
「既定路線通り博士課程に進めば良いんだ」
 頑治さんが云うと夕美さんは縋り付くように頑治さんの腕を自分の胸にかき抱くのでありました。なかなか強い力だと頑治さんは感じるのでありました。
「そうよね。あれこれ迷わないですんなり予定通りの進路を取れば良いのよね」
 何となく自分に云い聞かせるような夕美さんの云い草でありましたか。
 先程見た登山姿の、十人程の中年男女の一団が笑いさざめきながら二人が座るベンチの前を通り過ぎていくのでありました。皆一様に如何にも楽しそうな笑顔でありますが、しかしどうしてこの場所にそぐわないそのようないで立ちをしているのか、頑治さんは再び訝しく思うのでありました。頑治さんと夕美さんが東京都美術館で書道展を観ている間もずっと、あの姿で公園内をうろうろしていたのでありましょうか。
「あの連中はどうして登山の格好をしているのかな」
 頑治さんが頬に軽く触れている夕美さんの髪の横で顎を動かすのでありました。
「さあ、どうしてかしらね」
 先程から夕美さんもその場違いな服装の一団に気付いていたのでありましょう。
「あのいで立ちは何ともそぐわないよなあ、ここには」
「公園散歩が目的なら、如何にも大袈裟過ぎる服装よね。尤も、上野のお山、なんてここの事を云うけどね。でもまあ、それにしてもねえ」
 夕美さんは頑治さんを見上げながらクスと笑うのでありました。
「信州か新潟辺りに登山に行った帰りで、上野駅に着いた後ちょろっとここに立ち寄ったのかな。未だ家に帰るには早いから、とか何とか云う理由で」
「そうね、そうかも知れないわね。でも、そうでないかも知れないけど」
「そうでないとしたら?」
「さあ、それはあたしには全く判らないわ」
(続)
nice!(14)  コメント(0) 

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。