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あなたのとりこ 84 [あなたのとりこ 3 創作]

「ああ済まんね。今のは独り言で、別に唐目君に対して云った訳じゃないよ」
 刃葉さんは助手席の頑治さんが自分を険しい目で睨んでいるのに気付いて、そう笑いながら云い繕うのでありました。突然頑治さんを驚かせた自分の不調法を恐縮している風の云い方でも無いのでありましたし、思わず独語した自分を恥じているようでも照れているようでも無いのでありました。この人のごく普通にやらかす癖なのでありましょう。
「何か思い出しての独り言ですか?」
「うん、まあ」
「それにしてはきっぱりとした云い草でしたね」
「気にしないでくれ」
「唐突に何の脈絡も無く、下らん、等とはっきり口に出して、横に座っている者がそれを聞いたらムッとするとは考えないんですか?」
 頑治さんは今までの刃葉さんに対する積もり積もった鬱憤があるものだから、思わず知らず執拗になって仕舞うのでありました。
「悪かったよ。独り言は俺の癖なんだ。そんなに怒るなよ」
「人に無用な誤解を与えるようなそんな迷惑な癖は、癖だからってあっけらかんと開き直っていないでさっさと改めたら良いじゃないですか」
 こんな云い方をしたら刃葉さんは屹度怒り出すだろうと思いながらも、頑治さんは買い言葉、いや、この場合売り言葉の方になるのかも知れませんがそれは兎も角、自分の言辞の棘を丸める事が出来ないのでありました。
 刃葉さんは柔道と合気道の黒帯所持者でしかも最近空手とかバレエも、まあ、バレエに関してはこの際あんまり関係無いでありましょうけれど、習い始めたと云う事でありますから、若し殴る蹴るの愁嘆場に移行するとすれば自分なんか敵ではなかろうと頑治さんは考えるのでありました。しかしこうなったらもう引くに引けないではありませんか。
 刃葉さんは思わずと云った風に、運転中にも関わらず頑治さんの方に顔を向けて険しい目付きをして見せるのでありました。しかし頑治さんの目付きが思いの外腰が据わっているようだと感じたのかどうか、刃葉さんの眼光の中にふと怯みが射したのを頑治さんは確かに認めるのでありました。さぞや腕っ節には自信がある人だろうと思っていたのでありますが、これは頑治さんにしたら慎に意外な眼色の変貌と云うものでありました。
「悪かった」
 刃葉さんは先の言葉を繰り返すのでありました。「以後気を付けるよ」
 ここで遜って見せるのは刃葉さんにしてはなかなかに大人の対応と云うべきでありましょう。この人は案外隅に置けない人かもしれないと頑治さんは思うのでありました。
「唐目君はいざとなったら無茶苦茶をやるヤツのようだから、怖いな」
 しかしその後こう云う言葉を余裕綽々に冗談交じりの口調で、自分の怯みを糊塗せんとして吐く辺り、そうでもないなとも頑治さんは思い直すのでありました。頑治さんの事を自分の勝手都合に誤解して見せて、それで自分の及び腰を或る意味正当化する目論見の一種でありましょうが、要するにこの人は実は思いの外小心者なのかも知れません。
(続)
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