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あなたのとりこ 83 [あなたのとりこ 3 創作]

「いや、社員です。尤も未だ入り立てのホヤホヤですが」
「ああそう。新人さんか」
 運転手はそう納得気に頷いて人懐っこい笑みを浮かべるのでありました。「俺は大元紙加工の箱部と云う者だけど、時々段ボールの納品に来るから、以後よろしくね」
 大元紙加工と云うのは段ボールを納品して貰っている会社の名前でありました。
「こちらこそよろしくお願いします」
 頑治さんは少し丁寧にお辞儀するのでありました。
「いやね、今迄ずっと納品に来ていて、親切にも荷下ろしを手伝ってくれたのはあんたが初めてだったから、ちょっと驚いたんだよ」
 箱部さんは頑治さんに誠に親愛感の籠った視線を送るのでありました。頑治さんも笑いを返すのでありましたが、そう云うところを見ると今迄、刃葉さんは箱部さんが荷下ろしをしていても無愛想にも決して手を貸さなかったと云う事でありますか。
「ああそうですか。新人の俺が云うのも何ですが、どうも不調法で済みません」
「いやいや、別に文句を云っている訳じゃないんだけど」
 函部さんは恐縮して見せるのでありました。「そう云う社風かなと思っていたけど」
 函部さんの口調は決して当て付けを云っている風ではないのでありました。

 頑治さんと刃葉さんの間には日毎に険悪な雰囲気が泥んでいくのでありました。
 刃葉さんよりは頑治さんの方が万事に察しが良いし気が利くし仕事の手際も良いものだから、土師尾営業部長も山尾さんも刃葉さんをさて置いて頑治さんに先ず指示を出すようになるのでありました。先輩たる自分よりも昨日今日入った新米が重きを置かれていると云うのは、まあ自業自得ながら、刃葉さんとしては面白くないでありましょう。
 しかしまたそれを良い事に、刃葉さんは益々怠惰な仕事振りに磨きをかけるのでありました。自分はどうせもうすぐこの会社を辞めて仕舞うのだしと云う思いも、刃葉さんの投げ遣りに拍車をかける一因でもありましたか。
 去り際にその人の日頃の心胆が現れる、なんと云う言葉に弱い頑治さんとしては、こういう刃葉さんの在り様に義憤のようなものを少なからず覚えるのでありました。様々な武道の修業も情熱も、刃葉さんの人格止揚には全く無関係な戯事の領域にしか無いものなのでありましょう。まあそれは頑治さんが容喙するところでは無いのでありましょうが。
 屡ある都内の配達仕事も刃葉さんの主要な仕事の一つでありましたから、場所の確認や先方との顔繋ぎのために頑治さんが同行する場合もあるのでありました。羽場さんは例に依って運転中の頻繁なラジオチャンネルの切り替えで助手席の頑治さんを苛々させて、懲りない脇道指向運転で時間を無意味に費やすのでありました。
 そればかりか刃葉さんは或る時、運転中にそれまでの沈黙を破って全くの出し抜けに「下らん!」等と言葉を発する事があるのでありました。何かしらの思念の内に思わず発した独り言ではあろうけれど、不意に不愉快そうな顔でそんな言葉を現されると、頑治さんとしては反射的に険しい顔を運転中の刃葉さんに向けざるを得ないではありませんか。
(続)
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