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あなたのとりこ 72 [あなたのとりこ 3 創作]

 結局車は、拓殖大学、跡見学園、お茶の水女子大学と大学巡りをした挙句に、当初のルートである春日通りに戻るのでありました。やれやれ、始めから素直に春日通りを進んでいれば無意味に時間を費やさなくとも済んだと云うものであります。漸くに宇留斉製本所に車が到着したのは通常の二倍近い時間を要して、と云う事になるのでありました。

「お早うございます、贈答社です」
 刃葉さんはそう家の中に声を掛けながら、宇留斉製本所のかなり年季の入った木造モルタル二階建ての、一階の、道路に面したアルミの引き戸を引き開けるのでありました。一階が広さ二十畳程の製本所の作業場で二階が居所と云う造作でありましょうか。
 暫くすると二階から、小柄で首が短いのがやけに目立つ太りじしの中年の女性が大儀そうな足音を立てながら作業場に階段を下りて来るのでありました。女性は引き戸外に立つ羽葉さんをジロリと見て溜息をつくのでありました。
「何時もながら遅いわねえ」
 のっけから到着の遅い事への文句であります。「何時も云っているけど、もっと早く会社を出れば少しは早く到着するんじゃないの」
「ああ済みません」
 刃葉さんは慎に儀礼的に頭を下げるのでありました。こう云ういちゃもんはしょっちゅう頂戴しているらしく、如何にも軽くあしらうような無精な謝り様でありました。
「出来上がったのはそこに積んであるから、勝手に持って行って」
 その中年女性は引き戸脇に積み重ねてある五つの段ボール函をぞんざいに指差すのでありましたが、その時羽葉さんの後ろで車の後部ハッチから荷を下ろそうとしている頑治さんを見付けて、ヒョイと両眉を上げるのでありました。「あれ、新人さん?」
 頑治さんはその言葉に反応して女性の方に顔を向けて目礼するのでありました。
「ええ新人です。俺の後釜で唐目と云う名前のヤツです」
 刃葉さんが頑治さんを紹介するのでありました。
「ふうん。そう云えばもうすぐ刃葉君は会社を辞めるとか云っていたわね」
「はい、来月一杯で」
「唐目です。宜しくお願いします」
 頑治さんは体ごと向き直って畏まったお辞儀をするのでありました。
「なかなか良い男じゃない」
 女性は口元を歪めて科のある流し目なんぞをして頑治さんに笑いかけるのでありました。その無遠慮にどう対応して良いのか判らなかったから頑治さんは無表情の儘で目を逸らして、また荷下ろし作業を再開するのでありました。
 勝手に持って帰れと指示した後は、女性はまた二階に引っ込むのでありました。頑治さんと羽葉さんは持ってきた材料類を引き戸脇に下ろして、今度は持って帰るべき段ボール函を車に積んでいる時に件の女性がまた下に降りて来るのでありました。今度はその後ろにもう二人、同じくらいの年頃の女性を引き連れているのでありました。
(続)
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