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あなたのとりこ 30 [あなたのとりこ 1 創作]

「ああどうも、・・・」
 不審気な顔色はその儘ながらそれをあからさまに表すのは先ずは憚るべきと判断してか、男はほんの少し口元を綻ばせるような表情をして、不得要領に頑治さんに向かって顎を引くような仕草で会釈をして見せるのでありました。
「贈答社の方ですね」
 頑治さんは明朗に云って男よりははっきりとしたお辞儀を返すのでありました。
「ええ、そうですが」
「今日から社員になった唐目と云う者です」
 頑治さんは名乗ってからもう一度深くお辞儀するのでありました。
「ああどうも、袁満丸也です」
 男は名乗り返すのでありましたが、頑治さんが社員だと云うのが今一つ腑に落ちないような困惑を眉尻に浮かべるのでありました。
「業務の刃葉さんの後釜として入った者です」
 明快に土師尾営業部長からそう聞かされたのではないけれど、まあ、そう云う事情であるのは間違いないであろうから頑治さんはそう申し述べるのでありました。
「ああそうか、そう云う事ですか」
 袁満と云う男はようやく頑治さんの存在が飲み込めたと云う風に頷いて、今度は安心感を漂わせた笑顔を向けて来るのでありました。刃葉さんが近々会社を辞めて、代わりに新しい社員を雇う事になった経緯は概知のようでありました。
「どうぞよろしくお願いします」
 頑治さんはもう一度頭を下げるのでありました。
「ああどうも、よろしくお願いします」
 袁満さんも釣られるように低頭するのでありました。「ところで刃葉さんは?」
「池袋の宇留斉製本所に行かれました」
「午前中に行ったんじゃないの?」
「急な梱包と発送の仕事が入ったので、今日は午後一番になったのです」
「ふうん成程ね」
 袁満さんは自分で刃葉さんの在不在を訪ねていながら、実はそれには大して関心が無いと云った風情で納得するのでありました。「それじゃあ、車は上に上げていなくとも、すぐには業務仕事の邪魔にはならないよね?」
「ええ。刃葉さんのお帰りの時間が何時なのかに依りますが」
「宇留斉製本所に行ったのなら、どうせ夕方まで帰ってなんか来ないだろうし」
 袁満さんは片方の口の端を吊り上げて何となく皮肉を云うようにそう呟いてから、もう一度車の昇降機を操作するために身を屈めて駐車スペースを出るのでありました。
 一端上に上がった車が昇降機の大きな作動音を響かせながらまた下に降りて来て、接地した時に少しく揺れてから止まるのでありました。袁満さんは車の横の狭いスペースを擦り抜けるようにしてまた倉庫扉の方に戻って来るのでありました。
(続)
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